ロマンシングサガ3 カタリナ編 第三章5

 

 殆ど待つことなく案内された二階の書斎に、現聖王家当主であるという初老の男性がいた。オウディウスと名乗ったその人物は、優しげな目尻に淡いアッシュパープルの髪と髭の、ダンディーなおじさんだ。言われてみればどことなく、魔王殿でみた映像の中の青年の面影がなくもない気がする。
 低いテーブルを挟んで向かい合って座った三人は挨拶もそこそこに、カタリナを口切に話に入った。
 
「事前にピドナのミューズ様からの書状で概要は把握なされているかと思いますが、私はつい二ヶ月程前に、ピドナの魔王殿にてアビスゲートを発見しました。そして同時にその場でアラケスと対峙し、遠くない未来のアビスゲートの開放の予言を聞き及びました」
 
 カタリナのその言葉に、オウディウスは軽く眉を顰め、そしてポールはぽかんとした表情をした。そう言えばポールにその辺りは話していなかったな、などと思いながら、なおもカタリナが続ける。
 
「まずこの事実をどうしても聖王家の方々にお伝えせねばと考えたのと、本日伺わせていただいたのにはもう一つ、こちらについてお聞きしたかったからなのです」
 
 そう言ってカタリナは、指にはめていた指輪を取り外してテーブルの上に置いた。
 それに視線を落としたオウディウスは、思いの外鋭く目を細める。
 
「・・・これは間違いなく、王家の指輪です。貴女はこれを何処で・・・?」
「魔王殿の下層にて、見知らぬ少年より手渡されました」
 
 カタリナが簡潔にそう答えると、そうですかと呟きながら、オウディウスは椅子に座り直した。
 丁度そこへ先ほどの老婆が三人分の珈琲を持って現れ、勧められて一口啜る。
 カチャリとコーヒーカップをソーサーに置くと、オウディウスはゆっくりと語り始めた。
 
「丁度・・・そう、三ヶ月位前です。この地を訪れた一人の少年が居ました。酷く人と接する事に怯えた様子の少年でしたが、私はその少年を見た時に、ただならぬ気配を感じたのです。その少年は浅黒い肌に、見慣れぬ服装と武具を携えていました」
 
 オウディウスの語るその少年の容姿は、カタリナが魔王殿の下層でみた少年の特徴と全く以って一致している。
 それをカタリナが伝えると、オウディウスは頷きながら言葉を続けた。
 
「私はその少年を聖王廟へと招き、そこで王家の指輪を彼の手に取らせました。この指輪は、聖王三傑のパウルス様も聖王記の中で後世に集いたると予言した八つの光たる人物が手にとった時、聖王様の記憶を伝えるものでもあったのです。そしてこれを手にとった少年はそれまでの怯えの表情が消え、何かを悟ったような佇まいでした」
 
 オウディウスのその言葉に、ポールはひょいと王家の指輪をその手にとってみる。
 瞬間、ポールはその瞳を大きく見開いた。
 
「・・・成る程な」
「まさか、あんたも八つの光なの・・・?」
「いや、なーんも感じないんで、取り敢えず俺はそう言うんじゃないってのが分かった」
 
 ガコンと良い音がして、頭にたんこぶを作ったポールがテーブルに沈む。
 何事もなかったかのように拳を収めながらオウディウスに向き直ったカタリナは、話の続きを促した。
 
「・・・私は少年のその反応を見て、彼が八つの光である事を確信しました。そしてこの指輪がピドナの魔王殿に封印されしアビスゲートに向かう為の鍵である事を伝えると、彼は指輪を持ってピドナに向かったのです」
 
 オウディウスの言葉が区切られると、珈琲を一口啜った後に神妙な顔付きでカタリナが口を開いた。
 
「私も、魔王殿で少年から指輪を受け取った時に、見知らぬ風景を見ました。つまりこれは・・・」
「なんと・・・それでは貴女も矢張り、八つの光の一人でしたか」
 
 幾分かは予想していたのか、オウディウスはあまり表情を変えずにそう言った。
 八つの光とは、その言葉自体は修道院等に置いてある聖王記を読んだ事がある人物ならば誰でも思い当たる言葉だ。
 聖王に付き従った中でも特に偉大な功績を残した三傑と呼ばれる人物の一人、パウルス。聖王による四魔貴族討伐の後、メッサーナ王国の初代国王となった人物だ。
 彼は後世に向けてある予言を残し、それが聖王記の一節『パウルスの予言』に記されている。
曰く、「後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり。死食起こりて十余年の後、神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし。集いて、邪悪なる者をアビスの彼方へ封じん」とある。
 
「・・・しかし、本当に私などが八つの光なのでしょうか。確かに記憶らしきものは見ましたが、その少年のように何かを悟るようなことは・・・私には有りませんでした」
 
 カタリナは、朧げにだけ記憶している風景を思い出しながら言った。
 あれを見た事でカタリナは、悟るというよりも寧ろ混乱したと言った方が的確だ。
 
「ふむ、しかし私やそこのお方が何も見えなかった以上、貴女はそうで有るとは思います。人により個人差がある・・・ということなのかもしれませんね」
 
 オウディウスは顎に手を当てながら推論として述べた。確かにその可能性も無くはないだろう。しかし事実であるかの確証もないので、カタリナにはこれ以上の判断はつかない。
 
「あと・・・そうです、少年から指輪を受け取る時に、彼は妙なことを言っていたのです」
「妙なこと、ですか」
 
 オウディウスが少し身を乗り出すと、カタリナはふたたびあの場面を思い出しながら語った。
 
「少年は私に対してこの指輪のことを、これは君たちの持ち物だ、と言ったのです。また、彼は私に指輪を渡す為に魔王殿に自分が導かれた、とも言っていました。これはどういう事なのでしょうか」
 
 カタリナの言葉に、オウディウスは軽く眉間に皺を寄せる。だが、少年の言葉の真意が何に有るのかは彼にも分からない。
 
「・・・ふぅむ、それは私にもなんとも言えませんね・・・。その辺りは、もう一度あの少年に会い、聞くしかないのでしょう」
 
 と、丁度そこに部屋の扉をノックする音が響く。オウディウスがすぐさま返事をすると扉は間も無く開かれ、カタリナが視線を向けた先にはよれよれの学者然とした服を身に纏った、眠そうな顔の男が現れた。
 
「あぁ、来てくれたのか、ヨハンネス。悪いね、日の登っているうちに呼び出してしまって」
「・・・いえ、研究の発表の場ですから」
 
 ヨハンネスと呼ばれた男は、カタリナが座ったままぺこりと頭を下げるとそれに頷き返し、オウディウスの隣に腰を降ろした。
 
「紹介しよう。彼はヨハンネス。天文学者だ」
「天文学者・・・」
 
 聞き覚えの有る単語に、カタリナが脳内でも反芻する。聞いたのは、ピドナを発つ日に、トーマスの口からのものだ。
 
「それでは、貴方がピドナから此方に移ったという・・・」
「ご明察だよ。父がアルバート王によって処刑され、此処に亡命したんです。妹と二人でね」
 
 ピクリとも表情を動かさずにそう言ったヨハンネスに、カタリナは慌てて頭を下げた。
 
「これは、不躾に申し訳有りませんでした」
「いや、気にしないでください。物事には踏襲するべき順序がある。父は、それを踏み違えた。それだけです。遺恨がないと言えば、それは嘘ですがね」
 
 あくまでも眈々と喋るヨハンネスに、カタリナは再度無言で頭を下げた。
 そこで、オウディウスが口を開く。
 
「彼をここに呼んだのは、貴女が発見したというアビスゲートについて、研究の成果による現状を知って置いて欲しかったからです」
 
 それに合わせて、カタリナはオウディウスにも頭を下げた。
 
「助かります。私もヨハンネスさんのことはピドナで聞き及んでおりまして、この後お訪ねさせていただくつもりでした」
 
 カタリナの言葉に頷いたオウディウスは、視線でヨハンネスに発言を促す。
 するとヨハンネスは、丁度良いタイミングで老婆が運んできてくれた見るからに濃い珈琲を啜り、語り始めた。
 
「まずはじめに、死蝕によってアビスゲートが開いたのは事実です。父が死蝕の前に行なっていた天文の観測と死蝕後の私の観測を比べてみると、星の位置にズレが生じている。古い書物を調べて見ても、アビスゲートの力が星の位置をずらすのは確かです」
 
 そう言ってヨハンネスは、懐から数枚の紙束を取り出した。古い物から新しい物まで入り混じっており、そのどれもが円と線の図形らしき物、そして細かい走り書きやら計算式が雑多に書き込まれている。
 
「これは父が観測していた物と私が観測した物で、特に著しい違いが見て取れる観測図です。ここを見てください」
 
 ヨハンネスが指差したのは、何れの図形にも書き込まれている、交差する曲線だった。
 
「これは、日中の太陽の軌道と、ここ二十数年の死星の軌道です。専門的な説明は省きますが、どう計算しても、これとこれの二枚では、明らかな線のズレが出ています」
 
 言葉と共にヨハンネスが特に古い物と新しい物の二枚を縦にならべて、カタリナに見せてくれる。そこに目を落としてよくよく見てみれば、確かにずれているように見える。
 
「ズレは小さく、ゲートの力はまだまだ弱いようです。しかし、ゲートから流れ込むアビスの力はこの世界に混乱をもたらしています。アビスの魔貴族もゲートを大きくするチャンスを狙っているでしょう。出来るかぎり早くゲートを閉じねばなりません」
 
 ヨハンネスは先ほどの眈々としたイメージからは打って変わり、鋭い眼光を湛えて観測図を見つめながら言った。
 カタリナがそれに合わせて小さく頷くと、ヨハンネスも大仰に頷き返す。
 
「ズレの角度から割り出した中心点と書物を参照した結果、恐らくゲートは伝説通りの位置にあります。すなわち、ビューネイのゲートはロアーヌのタフターン山に、アウナスのゲートは南方のジャングルに、フォルネウスのゲートは西太洋に、そしてアラケスのゲートはピドナの魔王殿に。これが私の天文と書物の研究による成果です」
 
 そこまで喋りきると、ヨハンネスは珈琲を一気に飲み干して一息吐いた。
 そしてささっとテーブルの上の観測図を片付けると、肘を足に乗せて虚ろに瞳を下に迷わせる。
 
「・・・父はあの時世間に否定されたけど・・・それでも、処刑される前夜、互いの最後の会話の時に、こう言っていました。『死蝕が起これば、必ずやパウルスの予言も真実となる。だからこの研究を闇に葬らず、来るべき時に宿命の子らに伝えて欲しい』・・・と」
 
 粉が少し残ったコーヒーカップの底を見つめながら、独り言のようにヨハンネスが呟く。
 
「馬鹿みたいに・・・御人好しな父でした。自分が殺されるのに、殺すものたちの心配を最後までしていた。それこそ、恨み言の一つもなく。それだけ父は、この研究が人々の幸せに繋がるのだと信じて止まなかった・・・。そして父が処刑されたあの日・・・父の思いを、私と妹で受け継いでいくんだと決めたのです。例え、世間から私達が否定されようとも」

 それは誰に言っているわけでもなく、自分に言い聞かせるように、部屋の中に響く。

「だから、初めて会ったのにこんな事を言うのも甚だおこがましいのは承知ですが・・・もし貴女がパウルスの予言にある八つの光の一人であるなら、私は貴女にこの研究の成果を・・・私と父の悲願を、託したい」
 
 掠れ気味の声で最後にそう言うと、ヨハンネスはカタリナに向かって弱々しく頭を下げた。
 それを真剣な表情で見つめていたカタリナは、自分も珈琲を一口啜ると、ヨハンネスに頭を上げるよう言った。
 
「・・・まだ私が本当にそうであるのか、分かりません。それに私には、今は何よりも優先しなければならない使命があります」
 
 そこで一旦、言葉を切る。
 ヨハンネスは上げた視線をカタリナの胸元に留め、オウディウスは黙ってその様子を見守っている。
 そして何時の間に意識を戻したのか、テーブルに突っ伏したままのポールが視線だけをカタリナに向けた。
 
「・・・ですが私の心には常に、誇り高きロアーヌの騎士道精神が在る。ロアーヌ騎士には、貴方とお父上の痛切なるその願いに応じぬ薄情者は、いないでしょう」
 
 その言葉にヨハンネスは、カタリナの目を見る。その先で真っ直ぐ彼を見つめるその気高き瞳に、迷いの色はない。
 それを盗み見ていたポールは、思わずにやりと笑みを作った。
 
「祖国ロアーヌの名にかけて、このカタリナは約束しましょう。必ずや、その願いに報いると」
 
 力強いその言葉に、ヨハンネスは深々と頭を下げた。
 
「・・・ありがとう。私も出来る限りの協力は惜しみません。妹のアンナも伝記や術法の研究をしている。きっと力になれるでしょう」
 
 ヨハンネスはこの日初めて見せる不器用な笑みを作って、最大限の感謝を述べた。

 

前へ 次へ

第三章・目次