ロマンシングサガ3 カタリナ編 第三章3

 

 相も変わらず冷え込む北方の朝に身震いしながら、カタリナは術戦車の脇に立って眼下のキドラントを眺めていた。
 昨夜はワインを空けたのち、カタリナはそのまま宿を一部屋とり、ポールはニーナのところに向かわせた。そして朝にはここで集合するように言い伝えておいたのだ。
 白く透き通った北の空を白い息と共に眺めていると、程無くしてポールが麻袋を肩に掛けながら丘を登ってきた。なかなか吹っ切れた顔をしているので、挨拶は無事に済ませてきたようだ。折角再会できた直後でニーナには悪いが、恐らく彼女のことだから快く許可を出したのだろう。つくづく、ポールには過ぎた彼女だ。
 寒空の下にいつまでもいるのはごめんだとばかりに軽く二言三言だけを交わし、カタリナは早速出発する事にした。

 

「・・・全く分からんが、これが手綱みたいなもんか」

 

 何故か運転席に座らされて謎の物体に向き合ったポールは、ハンドルを握ると恐る恐る足の位置にある二つのペダルのうちの左側を踏み込みながらハンドル脇のボタンを押す。
 すると静音で微かに鳴動していた術戦車はひとつ身震いすると、ガオンと唸りをあげて振動を始めた。

 

「うおっ!?」

「これで動き出すみたい。あとはペダルの右側が拍車で、左側が手綱を引く役割・・・らしいわ」

 

 昨日教授から聞いた説明を朧げに思い出しながらカタリナが言うと、ポールはアクセルを軽く踏み込んだ。それに合わせ、術戦車は丁度人が早歩きする程度の速度で走り始める。

 

「成る程な・・・これの踏み込みで速度調整すれば良いのか。しかしそうなるとあんた、昨日は相当踏み込んでたんだな」

 

 すぐさまブレーキを踏んで止まりながらのポールの指摘に対し、カタリナは疾風の如き素早さで目を逸らす。

 

「いいから早く出しなさいよ。これを船に乗せて北海を渡るんでしょ?」
「そうだな・・・。小舟で乗り降りは出来ないから、桟橋の荷積みのタイミングにご一緒させて貰おう」

 

 そう言うと、ポールは早速アクセルを踏み込んで走らせ始めた。

 これより二人はキドラントから北海を西に渡り、ユーステルムに向かう予定だ。ユーステルムはポドールイ地方のツヴァイクを除けば北方では最大規模の都市であり、またロアーヌの民にとっては由縁のある地でもある。

 今より三百年近く昔の聖王暦二十六年に古ロアーヌの地にロアーヌ国を創設した初代ロアーヌ候フェルディナントとその妃ヒルダは、何を隠そうユーステルムの生まれなのだ。

 かと言って特にロアーヌに因んだ何かがあるとはカタリナは聞いていないが、それでも心なしかは楽しみな要因の一つだった。

 程なくして二人は乗船を終えると、一日程度の船旅なので自室に篭らず北海の景色を楽しむ事にした。

 ここはロアーヌの面するヨルド海やピドナのあるトリオール海などの内海とは違い、果ての知れぬ広大な北海の一端が北方大陸に突き刺さるような形で湾を形成している。

 この便は隔日で運行されている定期便で、湾を挟んだキドラントとユーステルムを結ぶ最北端の重要なライフラインだ。

 北海というだけあって近くには大小様々な流氷などもちらほらと見られ、見慣れたヨルド海とは全く違った景色にカタリナは思わず感嘆の声を上げた。

 そんな彼女に対し、そんなに珍しいものか、と地元民ポールは首を傾げるばかりだ。

 

「そうだ、ユーステルムに着いたら、少し情報集めをさせて貰う。術戦車があればランスまでの行程的にはかなり楽だろうから、今後のためにもいいよな?」

 

 ポールのその提案に対してカタリナは二つ返事で頷くと、ふと思いついてポールに一冊の本を渡した。

 

「これ、目を通しておいて。それで、集める情報に地元企業関連の物もお願い出来る?」

 

 そう言ってトーマスに借りた経済書を手渡すと、ポールはたいそう首を捻った。

 

「実は私、起業しててね。本社はピドナなんだけど、うちの副社長から旅先での情報も見ておくように言われてるのよ」

「・・・おいおい、ロアーヌ貴族で候族付きの騎士で社長さんかよ。つくづく人外スペックだな、あんた」

 

 呆れ返りながらも承諾するポール。しかし呆れられても、そもそも社長関連は自分自身が嵌められた気分なので、あまり突っ込まないでいただきたいものだとカタリナは思った。

 

「ツヴァイクでは色々あったし忘れちゃってたから、ユーステルムとランスではやっておかないと・・・」

 

 嵌められた気分とはいえ、やるからには此方も疎かにしてはいけないと、そこは生真面目に意気込むカタリナ。因みに彼女自身は経済書の中身はツヴァイクに着くまでに全て一応目を通し終えている。

 ポールもパラパラと其れをめくりながら、口笛を吹いた。

 

「これ、聖王暦三百年発行の世界経済大全じゃないか。死蝕で殆ど出荷出来ず話題にならなかったが、たしか業界内じゃ評価が高いレアな一冊だぞ。良い本持ってるな」

 

 そんなに貴重なものだとは露ほども知らなかったカタリナが逆に感心したように反応すると、ポールは冷や汗を垂らした。

 

「・・・あんた、価値分かってないだろ。これだから貴族様はズレてんだよなぁ・・・。これ高値で取引されるんだぜ?」

 

 そういうポールも元盗賊らしく取引値での解釈なあたり、本来の価値は分かっていないようだ。

 

「まぁあんたこういうの苦手そうだから、いいぜ、俺があんたんとこの外回り営業を担当してやるよ。会社概要の資料とか無いのか」

 

 思いの外やる気を見せるポールに、トーマスから手渡されていたプレゼン資料とやらと、先日発行されたメッサーナジャーナルの経済号外を渡した。

 

「へぇ・・・結構色々扱ってるんだな。おぉ、スーツ姿のカタリナ様も麗しいねぇ。隣の可愛い秘書さん誰よ・・・って、おいおい、あんたの会社、クラウディウス系の企業を買収してるのか。まさかヤバ目の会社じゃないだろうな・・・?」
「ヤバ目・・・?失礼ね、そんな事しないわよ・・・。クラウディウスが何か問題でもあるの?」

 

 パラパラと資料をめくっていたポールのその言葉に、カタリナが眉を顰める。するとポールは頭を掻きながら船のヘリに背をもたれかけた。

 

「いや、クラウディウスが直接ヤバイわけじゃないらしいが・・・ちょっと妙な噂を前に聞いてな・・・」

「妙な噂・・・?」

 

 怪訝な表情でそう返すと、うーんと唸ったポールは、食堂室で食べながら話をしようとカタリナを誘った。

 丁度空腹を感じていたので其れに乗りながら二人で歩きだすと、ポールがポツポツと語り始める。

 

「俺も専門じゃないから小耳に挟んだ程度だが・・・、旧クラウディウス系の企業の幾つかが、聞いた事もない企業に買収されてから経営破綻を起こすケースがちょいと前に相次いでいたそうだ」

 

 狭苦しい食堂の一席に腰をかけながら、ポールが以前にフルブライトから聞いた事と似たような話を始めた。

 それによれば、ここ最近になって起こり始めたその事象は起源をナジュ地方におく企業によるものだとか、北の最大商家であるヤーマスのドフォーレ商会によるものだとか、アンダーグラウンドでは噂が立っていたらしい。

 調査しようにも実態が掴みにくく関係者の談も乏しいとの事で噂の域を出ないとの事だが、事実として幾つかの企業は居なくなっており、中でも目立つのがクラウディウス系の企業なのだそうだ。

 

「似たような話は、ウチの協力企業も言っていたわ。盗賊稼業でもそんな噂が流れてたのね」

 

 カタリナは鱈のソテーを器用にナイフで切り分けながら、そう述べた。

 

「ま、賊も様々だからな。野盗しかしない所もあれば、ドフォーレみたいなとこと組んで規制品売買を営んだり、果てはそれに対峙する義賊紛いも居たりする。俺は元々メッサーナ地方の野盗集団に捕まったクチだが、あの辺りはピドナも近いし、そう言う情報の坩堝だ。必然的に色々耳に入ってくるのさ」

 

 やおら感心した様子のカタリナに肩を竦めながらいったポールは、自分も鱈のソテーを口に運んだ。この船内食堂のランチメニューは、基本的にこれしかないらしい。

 

「まぁ、あんたのとこが件の企業じゃなくてよかった。ところで協力企業って、何処なんだ?」

「えっと、これは言って良いのかしら・・・。あまり多言しないで頂戴ね。フルブライト商会よ」

 

 カタリナの言葉に、ポールの食事の手が止まる。宙に浮いたフォークから、もう少しで口に入らんとしていた鱈の身が力尽きてぽとりと落ちた。

 

「・・・ウィルミントンのフルブライトか?」

「ええ、そうよ」

 

 再びポールの呆れ顔。今日何度目かのその表情に、カタリナはこれまた眉間の皺で返事をした。

 

「どんだけスーパー企業だよ・・・。彼処は世界一の商会で傘下企業は多いが、昔ながらの体制を重んじる保守派だから、協業にはかなり消極的って専らの噂だ。そこと協力関係だなんて、俄かには信じられないぜ・・・」

「あら、そうなの・・・」

 

 社長はこの反応である。さすがのポールもこれには呆れを通り越してある種の感心を抱きながら、行儀悪くフォーク片手に資料を覗き込んだ。

 

「・・・まぁ、いいけどよ。とにかく情勢は仕入れるよ。うまい話なら売買契約まで漕ぎ着けるか?そこまで行くと俺も現地売価や原価率とかはよく分からないから、具体提案はあんま自信ないけど」

 

 過剰に塩味が強かった皿の中身を全て平らげたポールが資料を閉じながら聞くと、それにはカタリナは大丈夫だと即答した。

 

「その時は本社に伝書を送って、専門の人間に任せる手筈になってるわ。私はアプローチだけ担当してくれればいいって」

「・・・社長が飛び込みアポ作り担当か。そりゃまたトンデモ会社だな」

 

 まぁその方がいいだろうが、と付け加えながらポールはホットワインをオーダーすると、欠伸を一つしながら背もたれに寄りかかった。

 

「ユーステルムっつったら、デカイのはエリック社とかかねぇ。地元のエージェントとはどの道接触するつもりだったから、こりゃあ一つ面白そうなネタが増えたな」

「正直私はこういうの苦手だから、任せるわ・・・」

 

 そこは自覚しているようで、カタリナもホットワインを頼みながらそう言った。

 船は順調に進んでおり、風向きも助けて明日の朝一番にはユーステルムに入る予定だ。

 

 

 

 

 

「そっちに行ったぞ、〆だ、かっ飛ばせ!」

「言われなくて・・・もっ!」

 

 手傷を負いながらも大きく水面から跳躍してこちらに襲いかかる巨大な魚に、カタリナは大きく振りかぶった大剣を相手の頭を狙って垂直に振り下ろす。

 直後、盛大に骨が砕ける不快な音と共に、体を不自然な方向に曲げた魚がカタリナの前にズドンと崩れ落ちた。

 

「おぉ、やったな!流石いい腕してるなぁ。北のハンター連中が匙を投げてた氷湖の主をここまであっさり仕留めちまうとはねぇ」

 

 剣を降ろして一息つくカタリナに、大柄な男が身の丈近い大剣を肩に乗せながら賛辞を言いつつ近づいてくる。

 シルクハットのような形状の帽子に黒い縮毛の長髪、甲殻類の表皮を利用したアーマーに身を包んだというたいそう個性的な出で立ちのこの人物は、ユーステルムを拠点に活動するハンターのウォードと名乗る男だ。

 カタリナは肩を竦めてそれに答えると、周囲の魔物の気配が薄まっていくのを肌に感じた。

 

「・・・どうやらこれを始末したことで、この辺りの魔物たちは交戦意識が消えたみたいね」

 

 刀身の穢れを素早く落としながら、討ち取った氷湖の主とやらを見下ろす。

 ゆうにカタリナの身長の倍はあろうかと言う巨体に、獰猛なノコギリ状の歯が見え隠れする。

 とてもこの辺りで自然発生したとは考えにくい醜悪な外見に、改めてカタリナは顔をしかめた。

 

「これで安心して狩りの季節を迎えられるってもんだ。恩にきるぜ」

「気にしないでいいわ、仕事だもの」

 

 背中の定位置に大剣を収めながら答えると、ウォードはそんなカタリナを色気がねぇなと笑い飛ばす。

 周辺で狩りの小隊を率いているというこの男とは、一昨日ユーステルムに着いてから直ぐにポールが引き合わせてきた。

 本格的な猟の季節の前に周辺に増えてきた魔物を排除したいという依頼内容に、ポールに情報収集を任せているので手持ち無沙汰なカタリナには、断る理由がなかった。それに報酬は良質の毛皮だというので、高値で売れるとのことだが北の地の寒さにほとほと参っていたカタリナは、体を動かして暖めつつ防寒具が手に入るくらいの考えで請け負ったのだった。

 

「よし、じゃあ帰って仕事上がりの一杯といこうぜ」

「貴方、さっきから飲んでるじゃない」

 

 北方ではスタンダードなのか、ウォードはスキットルにスピリッツをそのまま入れているらしく、道中で度々口に含んでいた。

 

「かはは、こいつは保温用さ。お宅のお陰で俺はあんまり動いてないんでな。こいつを飲まなきゃ凍えちまう」

 

 確かにカタリナ自身も寒さを紛らわせるには動くのが一番だと此処しばらくで学んだので、敵影をみつけてはイの一番に動いていた。

 キドラントではたいして剣を振るう事も無かったので、久々に運動した気分だ。

 

「しかし、あんな魔物がこの辺にはよく住み着くの?あれじゃあ下手したら騎士団に要請して討伐隊編成しなきゃ、ハンターや一般人の手には負えないでしょう」

 

 帰り道に、気になってウォードに聞いてみる。するとウォードは思いの外真面目な顔つきで答えた。

 

「いや、あんなの昔は居なかったなぁ。最近魔物がやけに増えたと思ってたが、どうやらあいつが原因だったらしいな」

 

 その言葉にカタリナは気の無い相槌を打つようで、眉間に皺を寄せて此処最近の事を思い返していた。

 まずロアーヌでの予期せぬ魔物の出現に始まり、ピドナは魔王殿で邂逅を果たした四魔貴族アラケスの言葉。そしてこのユーステルムでの、突如の魔物の増加。

 死蝕から十六年目を数えた今、世界中で感じる異変は着実に増えてきている。この世界とアビスを繋ぐと言われるゲートが世界を混乱へと誘っている証拠、なのかもしれない。

 そんな事を考えながら、カタリナはウォードと共にユーステルムへと帰っていった。

 

 魔物討伐を終えてユーステルムに帰り着いてから三日程は現地が吹雪に見舞われ、カタリナとポールの二人は足止めを余儀なくされた。

 その間に昼間はポールが情報収集の傍らで街の複数の企業に直接訪問を繰り返し、巧みな話術と企業が欲しがる情報を餌にアポイントを量産した。一方のカタリナはなんとフェルディナントの代まで遡ってロアーヌ候家の遠縁にあたるという驚愕の事実を持っていたウォードと意気投合して呑んだくれたり、夜にはポールに剣の稽古をつけてボコボコにしてから雪の中の温泉を満喫したりと、それぞれ有意義に過ごしたそうな。

 

 

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第三章・目次