ロマンシングサガ3 カタリナ編 第二章3

 

 

 

 一週間ほども療養していたら、驚くべきことにすっかりカタリナの怪我はふさがってしまっていた。

 ブォン、と庭で太めの木刀を使い軽く素振りをするカタリナ。その剣筋は体が鈍っているため本調子でこそないものの、体に違和感は何も感じられない。

 

(ミューズ様の使った治療術っていうのはマジで凄いのね・・・。ご自身には使わないのかしら・・・?)

 

 病弱であるというミューズのことを思い出しながら、木刀を立てかけて軽く背伸びをする。すると真新しい服の匂いが鼻腔に広がり、なんともくすぐったい。

これまでに自分の着ていた衣服は先の戦闘でアーマーも含めてボロボロになってしまったので、今は町でかった適当な服を着ていたのだ。アーマーも欲したが武具店にはたいしたものがなく、いい品はすべて近衛軍団に流れてしまうのだという。

 そこで名乗り出てくれたのが、ノーラだった。

 

『なんだ、そんなことなら早く言ってくれればいいのに。寸法取らせな』

 

 そういってカタリナを下着姿に引ん剥いて体のサイズを事細かに測っていったのが、昨日の話である。ケーンが言うには、あんなに張り切って鍛冶にいそしむノーラは久しく見ていなかったという。ついでに武具も魔王殿で失ってしまった代わりに作ってくれるというのだから、太っ腹だ。

 そんなことをしていて経営は大丈夫なのだろうかと思ったが、なんでもやはりあの工房でしかオーダーをしない常連さんというのはいるそうで今も特注で稼ぎはあり、先代までの資金も巨額にあるそうなのでレオナルド工房的には今のところ直近で生活に苦はしないらしい。

 再び再開した素振りに調子が乗ってきたカタリナは、アラケスとの戦闘を思い出して無行の位と呼ばれた構えを取った。今でならばこの構えもよく理解できる。確かにこの構えは集中さえしていれば、どのような物理攻撃にも対応できそうだ。

 次いで木を使って三角跳びの要領で空高く跳躍し、空中でアラケスに放った神速の二段切りの復習をする。この技に関しても既に大方をカタリナの体は把握していた。あの時はアラケスの攻撃を利用することでスピードを生ませたが、今は本調子でさえあれば自力で出すこともおそらく可能だろう。

 

「カタリナ様ー」

 

 声に振り返ると、窓からこちらを見ているサラの顔があった。

 

「トムが呼んでるの。見たこと無いお客さんも一緒にいるんだけど・・・」

「・・・?・・・わかったわ。ありがとう、サラ。すぐ行くわ」

 

 見たことないお客というのが多少気にかかったが、とにかくすぐに格好を正したカタリナは、サラの元まで歩いていった。

 

「何処の部屋?これを置いたらすぐ行くわ」

 

 先ほどまで扱っていた訓練用の木刀を持ち上げながらいうと、サラは応接間の位置を教えてくれた。

 

「わかったわ・・・何の用事だか、サラは聞いてる?」

「ううん・・・全然。でもなんかお客さんとすごく難しい話をしていたわ」

 

 難しい話ときいて、カタリナも多少構える。そういう話は正直、カタリナも得意分野とは言い難いのだ。ロアーヌ貴族として恥じぬ程度の知識と教養は無論のこと身につけているものの、騎士として訓練に割く時間が長い彼女としてはあまりに専門的な会話まで付いていく自信はない。しかし、呼ばれてしまった以上は行かないわけにもいくまい。カタリナはぽりぽりと頭を掻きながら、すぐに自分の部屋に戻り、応接間へと向かった。

 

 

 

 

「失礼します・・・」

 

 控えめなノックの後にそろりと中に入ったカタリナには、まずトーマスの背中が視界に入る。そして次に、そのトーマスと向かい合って座っている青年と目が合った。

 

「お待ちしておりました。どうぞカタリナ様、私の隣に」

 

 こちらを振り向いたトーマスが自分の隣の席を示しながらそういう。

 その言葉に素直に従い、目の合った青年に軽く会釈をしながら席に着く。すると、トーマスが目の前の青年に向かってカタリナの紹介をした。

 

「この方がロアーヌの騎士、カタリナ=ラウラン様です。今は所用のために我が家にお招きしています」

「・・・はじめまして。カタリナ=ラウランと申します」

 

 よく分からないが、とりあえず挨拶をしておく。青年はカタリナのことを値踏みでもするかのようにじっくりと眺めた後、口を開いた。

 

「おっと・・・私としたことが名乗るのを忘れて見惚れてしまいました。申し遅れました、カタリナ様。私はウィルミントンにて商家を営んでおります、フルブライト二十三世と申します。お会いできて光栄に思います。以後、お見知りおきを」

 

 軽く頭を下げるその青年に合わせて、こちらこそ、と頭を下げるカタリナ。そして、頭を下げながら青年のやけにごつい名前が引っかかった。どこかで聞いたことがある名前だったからだ。

 

「カタリナ様ももうお気づきかとは思いますが、この方は過去に聖王様と共に四魔貴族討伐も行ったことがあるフルブライト一族の子孫の方です。当時より既に世界最大規模の商会であり、この方は今、その商会の当主である方なのですよ」

 

 トーマスの説明を聞きながら、おぼろげに引っかかっていた記憶が呼び覚まされる。そう、確かフルブライトといえば世界に名だたる大企業の名前であった。あらゆる分野においてその取り扱う商品は常に最高品質を約束すると言われ、歴史も古く聖王歴紀元前から商家は存在し、さらにはその中のフルブライト十二世は聖王十二将にも数えられた文武に優れる士であったという。

 つまるところ、凄い人なのだ。

 

「あ・・・こ、こちらこそ光栄ですっ!私などがまさかフルブライト家の方とお会いできるなど・・・」

 

 ちょっと感激してしまったカタリナ。

ロアーヌは敬謙な聖王崇拝国家ではあるが、実際その聖王に関連するものといえば候族だけである。今で言うところのミカエルやモニカだ。だがその二人に関してとなるとカタリナはそのように意識する以前に幼い頃からみ続けてきたので、聖王に連なるという意識はあまりなかった。

聖王遺物であるマスカレイドを預かった時も、若くして騎士の名と共に任命されたモニカの護衛という自分には過ぎるほどの名誉な任務と、そしてロアーヌ侯家にとっての別の伝統についてあまりに感激していたため、マスカレイドというものが本来意味する聖王遺物という事実自体に大きく感慨を抱くことはなかった。

 それが、今こうして目の前にいるフルブライト二十三世と名乗る青年は、間違いなく聖王に連なる人物なのである。幼い頃から敬謙な聖王崇拝者として育ってきたカタリナからすれば、これは感激せずにはいられなかった。

 

「では挨拶もそこそこに、本題に移りましょうか。このカタリナ様が、ミューズ様からの信頼を得るに一役買ってくださった・・・いえ、この方こそが信頼を得たといっても過言ではないでしょう。私は偶然その場に居合わせたようなものです」

 

 突然トーマスがそう切り出した。何の話だか分からずにカタリナが目をぱちくりさせていると、フルブライト二十三世はゆっくりと頷く。

 

「確かにこちらで集めた情報でもカタリナ様らしき方の存在が確認されているね・・・では、この方が本当に四魔貴族のアラケスと戦った方であるのか」

 

 その言葉を聞いて話題がなんとなく飲み込めてきたカタリナは、若干居住まいを正しながら二人の会話に耳を傾けた。

 

「はい。そして事の顛末から、先ほどの懸念に繋がるというわけです」

「確かに、無視できるような事柄ではないね。我々・・・いや、それどころか冗談でもなく全世界に関る大事だろう・・・」

 

 どうも話は、四魔貴族復活の懸念に関してのことらしい。ということは自分が呼ばれたのは、その当事者ということでこのフルブライト二十三世に事情を説明するためなのだろうか。

 そうカタリナが考えていると、フルブライト二十三世は突然真剣だった表情を緩ませた。

 

「では、なおのこと先ほどの話は前向きに検討してもらわなくてはならないね。聖王様の時代も、世界経済の協力あってこそ四魔貴族討伐が実現した。こういうときであるからこそ、世界は経済面でも団結せねばならない」

 

 にこやかにそういいながら、何故かフルブライト二十三世はカタリナを見つめる。

 

「はい・・・私としてもいずれフルブライトの方々にはご相談を持ちかけようかと思っていたところ。渡りに船といったところです。そして先程申し上げたように・・・やはり私ではすぐに警戒されてしまうでしょうから、カタリナ様で如何かと」

 

 トーマスも実ににこやかな笑みを絶やさぬまま、カタリナに目を向ける。

急になんだというのだろう。美男子二人に見つめられるのは別に嫌なことではないが、でも駄目である。自分はミカエル様一筋なのだと心に誓うカタリナ。

 

「では、カタリナ様・・・」

「は、はい・・・?」

 

 トーマスの妙に優しげな語りかけに少し身を引くカタリナ。それにあわせてフルブライト二十三世も立ち上がった。

 

「創立資金は、非公式という形をとりますが我々フルブライト商会が全面的に提供させていただきましょう。共に力を合わせ、世界経済を一つに。よろしくお願いしますよ、カタリナ社長」

「・・・・・・は?」

 

 握手を求めてくるフルブライト二十三世に、何のことだか分からず呆けた顔で答えるカタリナ。そんなカタリナの右手を持ち上げたトーマスが、勝手にフルブライト二十三世とカタリナの手を固く交わさせる。

 

「えっと・・・話が見えないのですが・・・?」

 

 やっとの思いで、そう口にする。すると目の前の男二人は、まるで見事にいたずらが成功した子供のような無邪気で、そして意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「なんてことはありませんよ、カタリナ様。私が全面的にサポートいたします。おそらくこの活動は近い将来、必ずや世界の平和を担う頑強なる礎となるでしょう。そのためにも共に発展させましょう、カタリナカンパニーをっ!」

「我々も立場上しばらくは表立った支援は出来ませんが、会社を大きくしていただければ将来的に公式での提携も当然の選択です。そこで、本格的に世界経済を纏めましょう!」

 

 爽やかな笑みを絶やすことなく振りまきながら、トーマスとフルブライト二十三世は意気投合する。いまだ何のことだかよく分かっていないカタリナは社長・カンパニーという言葉を中心に何事かと考えてみた。

 

「・・・私が会社の社長?」

 

 すぐに思い浮かんだのはそれである。それを試しに口にしてみると、トーマスとフルブライト二十三世はカタリナに向かって満面の笑顔でグッと親指を立ててみせた。

 

「今より三百年の過去において、聖王様が四魔貴族討伐を成し遂げた裏側には世界経済の一致団結が大きく関与しているのです。特に魔海候フォルネウス討伐伝説に聞く数多の造船と移動要塞バンガードの建造などは、時の世界経済の協力がなくては到底成しえなかったことの尤も顕著な例でしょう」

 

 フルブライト二十三世が、大げさな手振り身振りでそういう。それは確かにカタリナも幼い頃に勉強したので納得できる。

 次いでトーマスが人差し指を立てながら、腕を組んで口を開いた。

 

「アラケスのあの言葉は、矢張り無視できません。そう、四魔貴族復活はもうすぐ近いのかもしれないのです。となれば、いざそうなってしまった時にアビスの脅威に対抗するには、世界経済を一丸にする必要があるのですよ」

 

 なるほど、確かにそのとおりですね。などとカタリナは頷く。備えることはとても大事なことだ。

 

「ですから、貴方が社長となり、商会を率いてどんどんその他の企業を傘下に加えていってほしいのです」

 

 力強い口調で語るフルブライト二十三世。しかしカタリナとしてはその部分にだけは納得がいかない。

 

「いや、そこで何故、私が社長なのです・・・?トーマスのほうが余程そういうのに向いていると思うのですが・・・」

 

 トーマスの表情を伺いながら、そう指摘する。当然だ。経済どころかロアーヌに関すること以外の一般知識すら怪しいと自覚しているカタリナが、どうしてそんなワールドワイドな大役を果たせようか。そんなことをすれば、それこそ洒落にもならない悲惨な結果に終わるだろう。自分でも容易にそれが想像出来すぎて、カタリナは軽く米神を押さえた。

 そこで初めて、トーマスはもう耐え切れないとでも言いたげにくすくすと笑い出した。

 

「・・・ふふふ、カタリナ様は何も心配する必要はないですよ。実質的な業務は全て私が代わりにやらせてもらいますから、カタリナ様は予定通りランスに向けて旅立つことだけを考えてくださっていて大丈夫です」

 

 そこで漸く、トーマスとフルブライト二十三世も再び席に着いた。

 

「トーマス君の言う通りですよ。それに一応、カタリナ様にお願いをする理由はあるのです。トーマス君はこの世界の中心たるピドナでも音に聞く名族、ベント一族の嫡男です。そんな彼がトップに立って企業を起こせば、当然最初から他の企業の警戒の視線にさらされます。このピドナですと特にそうでしょう。それでは団結を目指そうにも、動き難い。ですから、カタリナ様の名前をお借りしたいのです」

 

 よほどカタリナの挙動が可笑しかったのだろう、フルブライト二十三世はいまだ笑いを堪えながら喋っているようだ。

 

「・・・さて、少しご説明をいたしましょうか」

 

 いつの間にか、老執事が紅茶を三人分持ってきていた。それを疑問にも思わず一口啜ったフルブライト二十三世は、ゆっくりとした口調で話し始める。

 

「先日はこのメッサーナに名だたる名族クラウディウス家の一子、ミューズ様のご信頼を得た手腕、お見事でした。さて、今回私がトーマス君に会いに来たのは、実はこのミューズ様の一族、クラウディウス家のことについて相談があったからなのです」

 

 なんだかあやふやなままに次の話題に進んでしまった気もするが、とりあえずカタリナは大人しく話を聴くことにした。

 

「五年前に内乱によって没落し、今はミューズ様を残すのみとなってしまったクラウディウス家ですが、彼らはカタリナ様も知るとおり、当時は当主クレメンス様がピドナの近衛軍団長であるという超名門の一族でした。そして、そのクラウディウス家は名家であると同時に、大型の多企業参加型商会としての側面をもっていました」

 

 そういってフルブライト二十三世は、すぐ横の窓から外を眺めた。外では、あいも変わらず忙しない様子でビジネスマンたちの移動する姿が見える。

 

「この界隈にある事務所の多くは、実は五年前までクラウディウス商会所有の企業群でした。しかしクラウディウスの没落を以ってその商会は解散し、傘下にあった数多の企業も散り散りになる結果となったのです」

「私の祖父も、当時はシノンでの農作物やその他製作物をロアーヌと、あとはクラウディウス家の二つに卸していたんですよ」

 

 トーマスの言葉にも耳を傾けながら、初めて知ったように感心するカタリナ。というか実際、初めて聞くことばかりである。

当然フルブライト商会でさえ思い出すのに一瞬の時間がかかってしまったカタリナとしては全く聞き覚えもないが、話を聞く限りではクラウディウス家も大分大きな商会だったようである。

 

「そしてここ最近になって、元はクラウディウス傘下であった企業群に対して食指を伸ばす怪しげな企業がいくつか現れ始めたのです。残念ながらその出所などは我々の情報網を以てしても定かにすることが出来ないでいるのですが・・・」

 

 フルブライト二十三世は両手をテーブルの上で組みながら、実に難しい顔をする。

 

「その企業郡はどうも大方がナジュ地方辺りから発祥したようなのですが・・・いまいちその詳細がつかめません。ただまあ通常の企業同士での合併ならば、経済の循環として当然あって然るべきなのですが・・・」

 

 瞬間、フルブライト二十三世の眉間が一層苦しそうに歪む。

 

「その企業は、自らの傘下に加えた企業をことごとく閉鎖に追い込んでいるようなのです。ですので決算情勢にもその名前は目立って出てきませんが・・・とにかくそういう被害にあって経営が成り立たなくなってしまった企業が、今の時点でも既に十を数えているとのデータも出ています」

 

 先ほどまで紳士的であったフルブライト二十三世の顔は、今は怒りに歪んでいる。経済界という舞台に立って戦う彼にしてみれば、件の企業の存在は本当に許せないものなのだろう。

 

「なので・・・是非ともカタリナ様とトーマス君に会社を興してもらい、これらの企業からクラウディウス傘下であった企業たちを守ってほしいのです」

 

 今度は、両手をテーブルについての懇願であった。

 確かに話だけを聞けば、なんとも穏やかでない。経済面での協力を求めるならば確かにその企業郡の存在は害悪以外の何者でもないだろう。だが、そこに至りカタリナには一つの疑問がわきあがった。

 

「・・・でもそれは、フルブライト商会がやっては駄目なのですか?そのほうがよほど早くけりがつくと思うのですが」

 

 考えてみれば当然である。創始金を補助してもらうとはいえ、一から企業を立ち上げてそれを行うより、既に世界に並ぶものの無いとされる巨大企業フルブライト商会がそれを成せばすぐにでも解決するのではないか。そう思ったのだ。

 しかし、そんなカタリナの言葉に対するフルブライト二十三世の表情は暗いものであった。

 

「・・・出来ればそうしたいのは私も山々なのです。ですが・・・お恥ずかしいことにそれは現状では、難しいのです。フルブライト商会は三百年以上も前より栄える、伝統ある商会。ですがその伝統ゆえに、こうした場合に表立って動きづらいのです」

 

 その言葉に、カタリナは軽い失望を覚える。先ほどまで世界経済の協力を掲げ、同じ経済に関るものとして件の企業に対して怒りをあらわにしていたフルブライト二十三世。だがそんな彼が伝統を理由に戦えないというのだ。

 

「なぜです・・・?そのようなこと、今ご自身で仰った世界経済の危機の前では関係ないのではないですか?いえむしろ・・・こういうときこそ、過去に聖王様と協力して経済面からバックアップして世界平和を築いたフルブライト商会が、まず率先して立ち上がらなければならないのではないのですか?」

 

 席から立ち上がり、失礼を承知の上でフルブライトに語りかけるカタリナ。だが、フルブライトはその言葉に対して申し訳なさそうな顔をするだけであった。

 

「・・・カタリナ様。フルブライト二十三世様は、既にご自身でそれを成そうとしたのですよ・・・」

 

 そこに、トーマスが口を挟んできた。話が見えないという顔でカタリナが振り向くと、続けて語り続けようとした。

 

「いや・・・私から言うよ、トーマス君」

 

 紅茶を一口飲んで軽くため息をついたフルブライト二十三世は、トーマスに手をかざして言葉を止めさせ、カタリナに向き直った。

 

「確かに、カタリナ様の仰るとおりです。だから私は、フルブライトの力を使ってその企業を狩る事に尽力しようとしました。ですが・・・その私の呼びかけに、我がフルブライト商会は動くことがなかったのです」

「・・・どういうことです?」

 

 その言葉を聞いて、一瞬何を言われているのか理解に苦しむ。当主の意向を商会が無視した、ということなのだろうか。

 

「私は確かにフルブライト商会の当主です。ですが、未だその商会の実権はフルブライト商会の会長・・・我が父であるフルブライト二十二世が握っているのですよ。そして、父は・・・・伝統を優先したのです」

 

 無念そうに顔をゆがませながら、フルブライト二十三世が呟く。その姿にカタリナもすっかり覇気をなくして椅子に座り込んだ。

 

「・・・申し訳ありません。何も事情を知らずに、私如きが失礼なことを言ってしまって」

 

 頭を下げる。するとフルブライト二十三世は苦笑しながら首を横に振った。

 

「とんでもない・・・当主だというのに無力である私が悪いのです。だから・・・本当に申し訳ないがこうして貴方達にお願いにあがったのです。トーマス君の手腕については我が父がベント家と親交深いこともありますし、此度のミューズ様の一件もあるので信用しています。どうか、引き受けてもらえないでしょうか・・・」

 

 悔しさを滲ませながらも、それを押して真摯に訴えるフルブライト二十三世。

そんな視線を向けられては、カタリナには断る選択肢など存在するはずもなかった。

 

「・・・わかりました。私にどこまでやれるかはわかりませんけれど、そういうご事情でしたら喜んでその話、受けさせていただきます」

 

 そうして、今度はカタリナから握手を求める。するとフルブライト二十三世ははにかんだような笑みを浮かべながらその握手に応じた。

 

「・・・確かにその言葉、聞きましたよ」

 

 そして、再び満面の笑みになる。

 

「・・・・・・は?」

 

 握手をしたまま再びカタリナが呆けた顔をする。すると、トーマスは興奮したようにテーブルに広げられていた書類に超スピードでサインをしていきながら語った。

 

「凄い・・・世界初ですよ、連盟企業のトップに女性が立ったんです!これまで伝統に縛り付けられて保守的であった経済界に新たな波をもたらすことは、これで間違いなしですね!」

「あぁ、私もこの歴史的瞬間を今は素直に喜ぼう。この波で、父上や保守派のご老体達に一泡吹かせてやろうじゃないか。よし、まずは広報だぞトーマス君。コーポレートイメージキャラクターは勿論カタリナ様ご自身だな!」

 

 カタリナの手を放すと早速、手元の書類を纏め始めるフルブライト二十三世。トーマスがサインをした書類に片っ端から判子を押していく。

 

「そうですね、やはりそこはアピールしませんとね。ちなみにクラウディウスに連なる企業の一部はミューズ様に先ほど連絡を取りまして、彼女の名前をお借りできるそうですからすぐ回収できます。あとは我が家系のハンス商会とメッサーナベント農場・シノンベント牧場・カーソン農場ももちろん、全面協力させてもらいますよ」

「よしきた、それなら出だしは好調といきそうだね。さっそく経済新聞記者にタレコミをしよう。出来るだけネタっぽく書いてもらえば、こちらから出向かずともメッサーナ界隈の獲物は自分から寄ってくるはずだ。見出しはそうだな、『経済界に衝撃!ピドナに新たな連合企業発足!麗しの美人社長就任!?』でどうかな?」

「あ、いかにもネタっぽくていいですね!一部、おいしそうなところの連帯企業生産概要も載せましょう。これもメッサーナ周辺の中小企業が喜びそうなのがいいですね。商会に属する企業概要をみたらきっとその辺りのビジネスマンが目をひん剥きますよ。そしてすぐに丸め込みに来ること請け合いです。そいつらを私が喰えばいいわけですね」

 

 握手をしたときの体制で固まっているカタリナをよそに、大層な盛り上がりの二人。あっという間に書類の山は片付いていき、何処から現れたのかまた老執事が部屋の中から書類を持って出て行った。

 

「ではカタリナ様、着替えていただいてよろしいですか?まずはやり手の女社長をアピールするための写真が必要です」

 

 トーマスがそういって指をぱちんと鳴らす。するとサラがとことこと走ってきて、女性用のビジネススーツを差し出してきた。

 

「・・・え?・・・・・・え?」

 

 話が見えないままに連れ去られるカタリナ。なんだかいきなり変な方向に話が進んでしまったような気がする。自分は名前だけで社長になったはずである。それだけのはずなのだが、どうやらそれは凄いことらしかった。

 そうして急かされるままに着替える。良く仕立てられたシャツに高そうな素材のスーツ。スリットの入った膝上止まりのスカートがやけに風通しがよくてカタリナには少しくすぐったかった。

 

「じゃあ位置は~、よし、そのストリートの真ん中にしましょうか!」

 

 いつの間にか現れたカメラマンに誘導されるままに道の真ん中に立つ。バックにはピドナ王宮を配置しての壮大な写真になりそうだ。何故か隣には同じくスーツ姿のサラが立っている。

 

「私、秘書役ね」

 

 にこにこしながらカタリナに寄り添うサラ。カタリナにしてみれば、もうどうにでもしてくれといった心境であった。

 

「・・・っていうか私、写真って初めて撮るわ・・・。あれがカメラっていうんだ・・・」

 

 木でできた四角い物体に注目する。なんでも光を利用して特殊な紙に景色を焼き付ける装置なのだという。今の主流モデルは薬剤等を使わずに一部に魔術を使用するため、カメラマンは全て魔術を習っているらしい。なかなか本格的である。ロアーヌでは勿論そんなものは見たことがなく、カタリナはまじまじとその奇怪な装置を眺めた。

 

「じゃあとりまーす、はいもっと自信たっぷりの笑みを浮かべてー!あ、いいですねーそのきりっとした表情!そのままでお願いします。2,3枚連続でいきますよ!はい、チーズっ!!」

 

 瞬間、数度にわたってパッと白く光ったかと思うと、もう作業は終わっているらしかった。

 

「はいお疲れ様ー。いい写真とれたよー?あとはこれに記事をくっつけて経済記者に垂れ込めばいいわけだよね?」

「あぁ、よろしく頼むよ」

 

 トーマスがそういうと、カメラマンの人は颯爽と走っていった。あの人、なんでも普段はどこかの町の酒場で流れの術販売を行っている人なのだそうだ。術師の人たちも大変そうである。

 

「やぁ、終わったようだね。スーツ姿のカタリナ様も実に凛々しいですよ。本格的に経済界に乗り込んでみては?」

 

 物陰で様子を伺っていたフルブライト二十三世が出てくる。流石に彼の顔を出しては拙いとの判断であろう。

 

「・・・ご遠慮願うわ・・・。この服、どうもスカートが短すぎて落ち着かないのよ」

 

 ロアーヌ宮廷に居た時もドレス姿ではあったが、足を完全に覆い隠すロングドレスであったためにやはり足を出すことはなかった。

 

「それは残念だ・・・。まぁ、この写真はきっと後世に残る衝撃さ。世界の情報の発信源たるメッサーナジャーナルの経済欄一面が女性のスーツ姿というだけでも、世界中の頭でっかちな保守・男尊主義者たちはハンマーで脳髄揺さぶられるような絵だろう!」

 

 フルブライト二十三世は、面白くてたまらないというような様子だ。自分で了承をしたものの、なんだかこの態度は腹が立つ。

 

「・・・で、私はもう着替えていいのですか?」

「あ、そうだね、もう大丈夫ですよ・・・。ご迷惑をお掛けして申し訳ない」

 

 ぶっきらぼうにカタリナが話しかけると、フルブライト二十三世は悪びれもせずにそういった。最初はフルブライトの人間ということで感激してしまったが、なんだか今となっては随分イメージと違う人物となってしまった。

 

「じゃあ遠慮なく・・・。サラ、着替えましょう?」

「うん!凄かったねっ写真!」

 

 サラもおそらく初めて写真を撮ったのだろう。やや興奮気味の状態でカタリナの腕に抱きついてきた。

 

(こんなので本当に世界経済を一つになんて出来るのかしら・・・)

 

 皮肉っぽくそう考えながら、カタリナは屋敷へと引き返していった。

その日の夕方にはメッサーナジャーナル号外として経済欄抜粋の新聞が街中にばら撒かれ、フルブライト二十三世とトーマスの読み通り、一躍カタリナ・カンパニーは経済界において時の注目を浴びる企業となった。

 

 

 

 

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第二章・目次