ロマンシングサガ3 カタリナ編 第二章1

 

 

 淡い陽に照らされて少しずつ意識が覚醒し始める。

 穏やかな光に包まれながらそっと目を開けると、そこは木造の天井だった。それに気がついて数度瞬きをすると、次の瞬間には左肩に鈍い痛みが奔る。

 

「・・・ぅ・・・」

 

 なるべく左肩を刺激しないようにしながらゆっくりと上半身を起き上がらせたカタリナは、そこが小さな部屋の一室であることを理解するのに数秒を要した。

 まるで、長い夢を見ていたようだ。痛みもあるがそれより何よりあまりにも体が重い。長く寝すぎると逆に体がだるくなるとは聞いたことがあるが、丁度今の状態がそんな感じなのだろうか。

 

「・・・ここは・・・」

 

 そうして、彼女は自分の置かれている状況を理解する努力を始めた。ゆっくりと脳裏に思い描かれるのは、こうして見上げる天井の前の光景。

 馬鹿げた量の瘴気の渦と、重苦しい空気と、そしてあまりにも強大な魔神。そしてその魔神の持つ真紅の槍が自分に向かって振り下ろされる、その瞬間。

 

「私・・・死んだのかしら」

 

 あまりに頓珍漢なことを口走る。だが、あの光景は確かに自分の命が消える直前の光景といっても過言ではなかっただろう。そうなると、今のこの状況は果たしてどういったことなのだろうか。

 鈍い痛みの続く左肩に視線を向ける。上半身に衣服は何も纏っておらず、左肩を中心に包帯でぐるぐる巻きにされているようだ。

 そっと、かけられていた布団をめくって中を覗き込んでみる。

 

「・・・あ、下は穿いてる・・・」

 

 どうやら下半身はちゃんと肌着を着ているらしい。だが足にもところどころ痛みが奔っているところを見ると、きっとこちらにも包帯が巻かれているのだろう。

 

(助かった・・・というの?あの状況から・・・)

 

 どうやらこれで自分が生きているということに間違いはないようだ。全身の痛みがそれを証明している。死んだのならこんな痛みは多分ないはずだろう。

 それに、もう一つ生きているであろうことを証明する事象がある。カタリナは今、何よりもとりあえず腹が減っていた。こんなに空腹感を味わったのは初めてだ。

 きょろきょろと辺りを見回す。部屋の中には自分の寝かされているベッド。大きな窓。そして脇に置かれた椅子。それだけしかない。

 部屋の出入り口が左側に見えるが、カタリナはどうしてもその場から動く気にはなれなかった。というかあまりに空腹すぎて、実際動けない。

 結局は再びゆっくりと、ベッドに横になる。

 とにかく助かったのは間違いないのだ。今はその事実に感謝することにしよう。彼女はそう思い、再び眠気に誘われるように目を閉じた。

 コンッコンッ

 だがそんなまどろみに誘われているところに、部屋のドアをノックする音が響き渡る。返事をする気力も起きないカタリナは、うっすらと目をあけて其方を眺めた。

 間もなくドアが開かれ、そこには見覚えのある少女の顔があった。

 

「・・・サラちゃん?」

「・・・あっ!」

 

 だがうろ覚えの記憶でカタリナがその少女の名前を呟くと、少女はバタンとドアを閉めてしまった。次いで廊下を走るドタドタという音がこの部屋まで響き渡る。

 よく分からないが気にしないことにした。今のカタリナにはそんなことはどうだってよかったのだ。

 

(・・・負けた・・・完全に・・・・・)

 

 あの神速の斬撃を以てしても、アラケスを倒すことは叶わなかった。あの戦いの中で彼女に流れ込む記憶の中にある最強の攻撃であったはずの斬撃も、あの魔神を滅ぼすには到底足りなかったのだ。

 

「・・・次は、勝つ」

 

 天井を強く見つめ、そう心に誓う。

こんなに悔しいのは、生まれて初めてだ。マスカレイドを奪われたときでさえ、ここまで悔しくはなかった。今はただ単純に自分の最高の力を以てしても敵わなかったというその事実だけが彼女の中に渦巻いていた。

 

「勝つのもいいですが・・・今は体を休めましょう、カタリナ様」

 

 突然横から声をかけられる。

 驚いてカタリナが其方に視線を向けると、そこには魔王殿で別れたトーマスの姿があった。

 

「・・・トーマス・・・ゴン君は?」

 

 思い出したようにカタリナが呟く。そもそも何故あのようになったかといえば、元はゴンという名の少年を探しに行ったのがきっかけだったのだ。

 

「ご安心下さい。無事にシャール様が見つけて、ミューズ様の元に連れて帰りましたよ」

「そう・・・よかったわ」

 

 安堵するようにため息をつく。次いでゆっくりと上半身を再び起き上がらせ、トーマスにむかって振り向きながら口を開いた。

 

「じゃあ・・・次は私がなんでこんな状況になっているのか、貴方の知っている限りを教えて・・・・・・って、なんでそっぽ向いているの」

 

 何故か横を向いているトーマスに詰め寄る。しかしトーマスは沈着冷静に眼鏡の位置を直しながら答えた。

 

「まずは寝てください、カタリナ様。そしてしっかり掛け布団もかぶってください。上半身は包帯だけなんですから・・・」

 

 言われて初めて、そういえばそうだったという事実に気がつく。包帯も全てを覆い隠しているわけではなく、殿方に見られるのは憚られる格好であるという事実に思い当たった。

 

「・・・・・・」

 

 もそもそと布団を引っかぶって横になり、そして答えを待つ。するとトーマスはようやくこちらに向き直り、再度口を開いた。

 

「あまり長く起きていては体に障るでしょうから掻い摘んでご説明しますが、私の見た限りでは・・・カタリナ様は馬鹿げた量の瘴気を纏った巨大な獣によって、ミューズ様たちの住まう家の前に瀕死の状態で運ばれてきました。そして獣はこういいました。この者を生かせ、と」

 

 椅子に腰掛けながら語るトーマスの言葉に耳を傾けながら、カタリナが疑問符を浮かべる。

 

「そして最後に・・・これは我の戯れに過ぎぬ、というような意味合いの言葉を残して獣は塵と消えてしまいました」

「・・・・・・戯れ・・・ね。なんかそういう馬鹿なこと言い出しそうな性格してるわ、あいつ・・・」

 

 トーマスの言葉を聞いて、呆れたように天井を仰ぎながら呟くカタリナ。その言葉を聞いて逆にトーマスが疑問符を浮かべ、口を開く。

 

「私が知るのはそれだけです。シャール様もミューズ様もこの経過はご存知ですが・・・逆にひとつだけこの場でお聞きしたいのですが・・・カタリナ様が巨獣に運ばれてくる直前まで、魔王殿周辺にはあわや死蝕でも起こるのではないかというほどの瘴気が渦巻いていました。何かそれについて思い当たることなどは・・・?」

 

 言葉を聞きながらカタリナが考え込む。が、正直彼女にもその経過はよく分からなかった。何せ彼女自身、その巨獣に運ばれたことすら知らなかったわけなのだから。

 

「そうねぇ・・・私も意識を失ってからここで目覚めるまではすっぽり記憶がないからちょっとそれについては分からないわね。でも・・・・その手前までのことなら鮮明に覚えているから・・・話せるわ。その中に、それに関するヒントがあるかもしれないわね」

 

 もぞもぞと布団から右腕を出し、その先に未だにしっかりとはめられている指輪を眺めながらそういった。

 

「っと、ごめんなさい・・・口調が崩れていたわね」

 

 そして今更になって、自分の口調が普段の貴族然としたそれを失ってしまっていたことに気がつく。しかし今更になって戻すこともはばかられたし、トーマスも気にしないでいいですよ、と言ってくれたのでこのままでいくことにした。

 それに、その方がこの後のお願いをしやすいな、とカタリナは考えた。

 

「あ・・・でも、出来ればその前にお願いがあるんだけれど・・・いいかしら、トーマス」

「はい・・・なんでしょうか?」

 

 ポリポリと頭をかきながら言いよどむ。かつて彼女はこれほどまでに恥をしのんだことはないだろう。

 だが、言い出さぬわけにもいかない。これは今の彼女にとっては死活問題にも等しい事柄だからだ。

 そうして多少の、いや相当の躊躇いの後、カタリナは静かに口を開いた。

 

「お腹・・・すいちゃったんだけど・・・」

 

 大赤面である。言いながら自分がどれだけ今恥ずかしい状況にあるかを考えれば考えるほどに、語尾の声が小さくなっていく。

 そして視線の先には、面食らった様子のトーマスの表情。こんな彼の表情をカタリナは見たことが無い。畜生、何で今自分はこんなにおなかがすいているんだ。そう自分を呪うカタリナ。

 

「・・・ふふ・・・はっはっは!わかりました、すぐ食事の用意としましょう。考えてみればカタリナ様、二日は寝込んでいらっしゃいましたからね。気が利かなくて申し訳ありません」

 

 そういって笑顔を絶やさぬまま立ち上がるトーマス。最早カタリナはそんな彼のことを見ていられなかった。布団を顔までかぶり、縮こまりながら答える。

 

「あ・・・ありがとう・・・」

 

 面目なさそうにカタリナが呟いたのを苦笑交じりに確認すると、トーマスは少々お待ち下さいといって部屋を出て行った。

 そしてまたしばらく横になっていると、今度はトーマスと入れ替わりに先ほどの少女、サラが入ってきた。

 

「・・・カタリナ様・・・?」

 

 布団をかぶっていて気がつかなかったカタリナは、その声に気がついて顔をだした。すると心配そうにこちらを覗き込むサラの顔が、目の前にあるではないか。

 

「あ、サラちゃん・・・だったわよね」

 

 ゆっくりと起き上がりながら少女の名前を呼ぶと、サラはゆっくりと顔を離しながらこちらを見つめている。

 

「・・・やっぱりカタリナ様なんですか・・・?」

 

 そんなことを聞かれる。

 

「ええ・・・そうだけど」

「・・・格好も違うし、何より髪をばっさり切っていたから全然分かりませんでした・・・。ミュルスで私ちょっと見かけたんですけれど・・・あの時はトムの彼女かと思っちゃいました」

 

 そういえばあまりにトーマスがすぐに見抜いてしまったので、自分が髪をきって格好をかえて旅をしていることを彼女自身すっかり忘れていた。

 

「・・・ええ、いろいろあってちょっと・・・ね」

 

 苦笑しながら答える。いろいろ、とはいってもひょっとしたらこの少女はこちらの事情など既にトーマスから聞き及んでいるかもしれないが。そういえばここに来たのはマスカレイド捜索のためであったというのに、いつの間にか全く別のことで自分は死にそうになっていたんだな、などとふと思う。

 

「そっか・・・マスカレイドであれば・・・ひょっとしたら倒せたかも知れなかったのにな・・・」

 

 ここに至り、ふとそんなことを考えた。あの時はレオナルド工房で頂いた良品の武具を使っていたが、やはり自分にはあの剣が一番扱いやすい。それに、マスカレイドは正真正銘の聖剣である。アビスの瘴気に対抗するにも、あれ以上にうってつけの武器もなかなかないはずなのだ。

 

「・・・?」

 

 サラが何事かという顔をしてカタリナを見る。それに気がついたカタリナはごまかすように笑うと、別の話題にしようと思いサラに話しかけた。

 

「そういえば・・・今更だけど、ここトーマスの従兄弟さんの家・・・よね?」

 

 素直に頷くサラ。近くで見てみると、ロアーヌの謁見の間でみた姉のエレンとはまた少し違った雰囲気の、とても奇麗な顔立ちをしている子だ。少しウェーブがかった髪が姉であるエレンのストレートヘアと対極を成していて、幼さをまだ残す顔立ちもまた魅力的である。

 

「他の皆もカタリナ様のことを心配していましたよ。シャールさんとミューズ様っていう奇麗な女の人と・・・あとは・・・」

 

 そこまでいったところで、廊下をドタドタと駆けてくる音が外から聞こえてきた。

 何事かとカタリナとサラが其方を振り向くと、丁度ドアが勢いよく開かれ、頭にバンダナを巻いた女性が飛び込んできたところだった。

 

「カタリナっ!・・・よかった、目を覚ましたんだね!」

「ノーラさん・・・!ごめんなさい、出て行ったきり心配をかけてしまって・・・」

 

 カタリナの下に駆け寄ったノーラは、心配そうにサラの横にしゃがみこんでカタリナの様子を伺った。しゃがみこんでもそこまでサラと目の高さが変わらない辺りが、ノーラの体つきのよさをよく表している。

 

「あと、このノーラさんも・・・って言おうとしたの」

 

 サラがそう付け加えると、今度はなんとミューズが部屋の中をそっと覗き込んできて、そのままとことこと入ってくる。

 

「気が付かれたのですね、カタリナ様」

 

 そういって入ってきたミューズはピドナ旧市街で見た淡い緑色のドレスではなく、新市街のメインストリートに居そうな町娘の格好をしていた。だがその美しさは幾分も損なわれず、着ている服も一般のものであろうにとても高級に見えてしまう。

 

「ミューズ様まで・・・。ご心配をお掛けしたようで、申し訳ありません。なんのお役にも立てなかったばかりか、この体たらくで・・・」

 

 カタリナが伏目がちに言うと、ミューズはとんでもないという風に首を横に振った。

 

「そんなことはございません。トーマス様とカタリナ様がご協力してくださったからこそ、ゴンをすぐに見つけ出すことが出来たんですもの・・・。いくら感謝をしても足りませんわ」

 

 丁寧にお辞儀をするミューズを見て、とんでもないと今度はカタリナが首を振る。

 

「カタリナ様の怪我ね、ミューズ様が治してくれたの。凄いんだよ、ミューズ様。天の術を扱えるの」

 

 次いでそういうサラの言葉を聞き、カタリナは非常に驚いた表情でミューズをみた。

 

「完全には治せませんでしたが、傷口は取り合えず塞げましたから・・・安静にしていれば、痛みも近いうちに消えてくれると思います」

「あ・・・ありがとうございます・・・」

 

 そういえば鈍い痛みこそ先ほどからあるものの、包帯の上から押してみてもそれ以上に痛くは無い。こうして目覚める前の自分は全身にいくつもの裂傷と打撲を負っていたはずだが、それの痛みもそこまで無い。治療術は確かに術の系統として様々な属性に存在しているが、ここまで効果の強いものをカタリナは知らなかった。

 

「全く、血まみれであんたが助け出されたってのを聞いた時はどうしようかと思ったよ。また・・・父さんみたいな犠牲者が出ちまったんじゃないかって、ハラハラしたんだからね」

 

 ノーラがちょっと不機嫌そうに口を尖らせて言う。その言葉に対してもごめんなさいと低頭するカタリナであったが、ノーラは笑いながらカタリナの頭を撫でた。

 

「まぁなんとか生きているならよかったよ。でもなんでこんなことになったのかは、しっかり説明してもらうからね?」

 

 ノーラの言葉に素直に頷いたカタリナは、間もなく廊下から漂ってくるなんともいえない香ばしい香りに敏感に反応した。

 

「あ、トムの料理の香りだ」

 

 カタリナと共にいち早くその香りに気がついたサラが、廊下に振り向く。途端、カタリナのお腹が派手な音を奏でた。

 

「・・・ぷ、あはははは!なんだ、腹がすいていたのかい?なんならあたしがここまで持ってきてやろうか?」

 

 爆笑しながらノーラがぽんぽんとカタリナの肩をたたく。ちょっと痛いがそれよりも恥ずかしくて縮こまっていたが、意を決して布団をひっぺがえしてベッドの脇に座った。

 

「・・・いえ、私があっちに行くわ・・・。何か羽織るものとかってないかしら・・・」

 

 恥ずかしさを押し隠すために、やたらきびきびと動くカタリナ。するとそっとミューズがカーディガンを差し出してくる。

 

「あ、ありがとう御座いますミューズ様・・・」

 

 いそいそとそれを上に羽織ると、カタリナは廊下に向かって歩き出した。

 

「あ、あたしも食べる食べる。ケーンの食事ばっかりじゃ飽きちゃってさ」

 

 さり気にひどいことを言いながら、ノーラも立ち上がった。

 

「きっと全員分作っていると思いますよ・・・シャールも手伝っているはずですから。じゃあ、皆で行きましょう」

 

 どこか楽しそうに、ミューズもサラと共に廊下に歩み出た。

 先頭に立つカタリナは痛む体に鞭打ちながら、後方を振り切るように早歩きで香りの漂う居間へと向かった。

 

 

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