王者の言葉と武人の誇り

 

 

侯爵フランツの怒り様といったら長年共にロアーヌを支えてきた側近や近衛の将軍、政務官等ですら初めて見る程のもので、最早それは誰にも止められない様相だった。
 荒々しく玉座から立ち上がりながら怒りも露わに叫ぶフランツによって、この翌日にはロアーヌ全領土に通告が成されることとなる。
 其れこそは、未来のロアーヌ侯爵たるミカエルの名を大々的に国民に知らせるものであった。

 

 

 

自室のバルコニーから城下町を眺める少女は、美しく整った眉を可愛く顰めると、無言で部屋に戻る。
 其処では普段こそ侍女が一人いるだけだったが、今は侍女以外に部屋の入り口に常に二人の武装した兵士が直立し、部屋の中は少し窮屈な印象だ。
 しかし少女は、その様なことで眉を顰めた訳ではない。今彼女の頭の中には、怪我を負って療養中である敬愛する兄の事があった。
 つい先日、少女は八つ年上の兄とともに二人でいる所を何者かに襲われ、兄の獅子奮迅の応戦によって辛うじて命を救われた。
 だがそこで酷い怪我を負った兄は、血を流しながら地に膝をつき、慌てて駆けつけた衛兵により治療院へと運ばれた。少女は騎士団に連れられて宮廷内に戻り、それ以来数日を過ぎた今でも、兄と顔を合わせられていない。
 術師の治療により怪我の方は殆ど治っているとの事だが、厳戒態勢が敷かれたままなのだ。
 普段から愛用している特注の椅子にゆっくりと腰掛けると、少女は一つ深い溜息をついた。

 

 

 

連日の殺伐とした訓練場の空気に愚痴をこぼす者も多い中、周囲の男連中の中では一際目立っている可憐な顔つきの銀髪の少女は、表情一つ変えずに騎士団長の叱咤に耳を傾けていた。
 
「諸君も連日聞き及んでいようが、この厳格なるロアーヌの領土内で、あろう事か侯爵様のご子息が襲われるという真に遺憾な出来事があった。これは国家の規律を揺るがす大事件であり、我々ロアーヌ騎士団も顔に泥を塗りたくられたに等しい!故に、二度とこの様な事が有ってはならない!諸君等宮廷騎士とその候補生は、今まさにその真価を今一度問われているのだ!これよりは一切の油断なく己を磨き、このロアーヌの秩序そのものとして行動する様に!」
 
 ガシャリ、とその場の騎士達が剣を翳すと、直ぐに散開して騎士団は訓練へと移った。
 列の中にいた少女はその背中に背負った華奢な身体に不似合いな大型の剣を振り抜くと、いつもの練習相手である同期を相手に、剣を正眼に構えた。
 練習用の剣とはいえ直撃すれば骨折は免れないであろう勢いで少女が剣を振り抜き、青年が其れを辛うじて受け流す。
 周囲にも増して激しく展開されるその剣戟に、負けじと全体の乱取りに締まりが加わる。それを見ていた騎士団長はぴくりとも表情を崩さずにいると、やがてその場を離れていった。
 その後も暫し剣戟の音は場内に響いたが、やがてそれは少女の行うそれを抜かして止んでいく。
 
「カタリナ、今日は俺と勝負だ」
 
 打ち合いの合間に間合いをとった所で、一人の青年が少女と相手の中に割り込んだ。途端に周囲から冷やかしの声援が飛んでくることに青年は舌打ちをするが、それに対して少女はふぅと一息つくと首を鳴らし、来いと合図をする。
 それに顔を引き締めた青年が喝と共に素早く打ち込むと、体躯で負ける少女はあえて正面からそれを受ける姿勢を取り、遠心力の乗らない柄の付近を選んで受け止める。
 火花が散るそのタイミングを見計らって少女は身体を右にずらし、勢いを殺されきらずに前のめりになった青年の脇腹を凪ぐ様に剣を振った。しかしそれを予期していた青年が渾身の力で無理矢理剣を横に凪ぐと、周囲に増して軽装であった少女は瞬時に垂直に飛び上がり、身体の下を剣が通過していく様を空気に感じながら青年の頭に掌を載せつつ優雅に着地する。そしてバランスを崩しかけた青年の頬に剣ではなく手を当て、円らなその瞳を細める。
 
「・・・残念ですね、コリンズさん。先手の速攻は相変わらずキレがいいですが、まだ二の手が弱いみたいです。今回もお酌はお預け、ですね」
 
 少女のその言葉と共に、周囲からはどっと歓声が沸き起こる。
 悔しがるコリンズ青年は、再戦時の勝利を誓いながら引き下がるのであった。
 
「やっぱもうカタリナに勝てるのは、ラドム将軍クラスくらいかぁ・・・」
「そんな事はないわよ、ブラッドレー。貴方の攻守のバランスの良さは、本当に見習いたいくらい。それにコリンズさんの速攻にしても、私にはまだ真似できないわ」
 
 カタリナと呼ばれた少女が長い髪をかき上げながらそう言うと、ブラッドレー青年は肩を竦めた。
 
「宮廷騎士団で正規を抜かして最も強い候補生にそう言われても、嬉しくも何ともないな」
 
 その言葉に、周囲からは笑いと溜息が混じって聞こえてくる。
 それに今度は、カタリナが肩を竦める番だった。

 

 

 

合同訓練を終えて周囲の喧騒から離れる様に退避したカタリナは、いつもそうしている様に裏庭にある井戸で水を汲んで顔を洗う。
 そうして一息つくと、井戸の脇に立て掛けていた練習用の大剣を握り直して、これまた習慣に則ってその場で素振りを始める。
 これは騎士を目指して仕官したその日からの、彼女の習慣だった。
 家柄は貴族の生まれであり、更には女性の身であるにも関わらず騎士を目指すカタリナには、常に周囲からの好奇の視線や不躾な言葉が付き纏った。
 だがそれに対してカタリナは一切口で返すことは無く、その行動で返答してきた。
 その結果、剣の腕は最早候補生仲間では全く太刀打ち出来ぬものとなり、正規の騎士ですら舌を巻く程となる。
 だがそれで満足するような彼女ではなく、更なる高みだけを目指してこうして日々訓練に明け暮れていた。
 宮廷の裏側のこの庭は普段から寄る人間もいないので、彼女専用の練習場所と言えよう。
 因みにこの裏庭の一角には常に丁寧に手入れされた小さな花壇があるが、恐らく彼女とは被らない時間帯に誰かが世話をしているのだろう。一度もその人物とは会った事が無いので、それを気にする事はなかった。
 大振りの連撃練習の後にフルーレを用いた追撃への流れを確認し、いつしか空が茜色になり始めた頃に漸くカタリナは練習を終えて再び顔を水で洗った。
 
 と、丁度その時だった。木々に隠れた場所で微かな物音をカタリナは察知し、反射的に腰のフルーレを抜き放ちながら物陰に視線を向け、誰何する。
 すると物陰からは存外あっさりと人影が現れたが、それが頭から足元までローブを被った大層怪しげな出で立ちであったものだから、カタリナは警戒を濃くして視線を鋭くした。
 だがローブの人物は直ぐにそれを頭のフード部分だけ剥ぐと、その中からはカタリナの銀髪と対象的な眩い金髪が現れ、そして妙に見覚えのあるその顔にカタリナはまず驚き、そして次に跪いた。
 其れこそは先日単身で暗殺者を撃退しながらも名誉の負傷を負ったという、侯爵フランツの息子であるミカエルその人だったからだ。
 
「・・・これは、大変失礼をいたしました。私は宮廷騎士団所属の騎士候補生、カタリナ=ラウランと申します。此度の無礼、何なりと処分は謹んで受ける所存です」
 
 それだけ言って下を向いたカタリナに対し、ミカエルはゆっくりと首を横に振った。
 
「・・・いや、私は影だ。ミカエル様の身辺をお守りするにあたり、此度の事件を機に任務についたのだ。気にしなくていい」
 
 その言葉にカタリナが多少驚いた様子で顔を上げると、年相応のあどけなさが残るその表情に影は目を細めた。
 
「そうでありましたか。お務めご苦労様です。しかし、この様な所にいて宜しいのですか?」
 
 今は大変な時期であろう事を察してのカタリナのその質問に、しかし影は肩を竦める。
 
「今ミカエル様は、部屋の内外に衛兵が待機してお守りしている。むしろ私の出番はないので、この機会に更なる任務完遂の為に剣の訓練でもと思ってな」
 
 それにカタリナがまた受け答えながら頷くと、なんと影は折角だからとカタリナを訓練に誘ってきた。
 一通りのメニューをこなし終わっていたカタリナがこの影の腕に興味をそそられて申し出に迷わず応じると、早速互いにフルーレを構えて軽やかに打ち合いを始める。
 
(
・・・ん、この影、強い・・・)
 
 剣先を交えての探り合いで影の実力が高いことを感じたカタリナは、一気に勝負を決める為に瞬間的に加速して鋭い突きを放つ。しかし影は外陰をはためかせながら回避し、実に的確なカウンターを撃ち出してきた。

 それに脇腹を掠められながらもカタリナがさらに反撃を繰り出そうとする姿勢でベテラン顔負けのフェイントを挟むが、それにも全く引っかからない。
 手強い相手にカタリナが一旦距離を取ろうとバックステップを踏んだところに、影は蛇がうねる様なしなりを持たせた突きを繰り出してくる。しかしその突きの合間に一瞬の隙を見付けたカタリナがそれを絡め取る様にしながら剣を跳ね上げると、影の持つフルーレはその手を離れて空高く舞った。
 其れがクルクルと宙を舞って地面に突き刺さると同時、影は軽く息を吐きながらニヤリと笑った。
 
「・・・強いのだな。流石は宮廷騎士団の最年少訓練生にして最強の呼び名高い、ヒルダ様以来で初の女性騎士候補だ」
 
 そこまで知っていたのか、といった表情で今度はカタリナが肩を竦めた。
 緊張感の後に心地よい風が柔らかく髪に当たるのを感じながら、こちらも一息つく。
 
「・・・過大評価です。私より強い人は、幾らでもいます。貴方にしても、そう。その腕の怪我が無ければ、今の突きを私は回避出来なかった」
 
 打ち合いの最中で最後の突きの時に見えた隙は、腕にあるであろう怪我を庇ったが為のものだとカタリナは見抜いていた。
 
「・・・ふっ、敵わんな」
 
 まるでミカエル本人の様な口振りで言いながら笑うものだから、カタリナもその見事な影っぷりにクスリと笑みを漏らした。
 
「・・・よい手合わせだった。礼を言うよ、カタリナ。また頼む」
「ええ、此方こそ・・・えっと、何と呼ばせてもらうのが良いのでしょうか」
 
 カタリナが首を傾げながらそう問うと、影はふむ、と顎に手を当てた。
 
「・・・影、は流石にあれだな。では、マイケルでどうだ」
「・・・主がMichael、だからですか? そのまんま。捻りもないのですね」
「許せ。帝王学は兎も角、ボキャブラリーは未だ勉強中だ」
 
 影がそう言ってからお互いに小さく笑い合うと、この日は空が暗やみ始めたのを合図に分かれた。

 

 

 

裏庭に何日かに一度現れるその影との手合わせは、いつしかカタリナのちょっとした楽しみになっていた。
 良い練習相手であるというのはもちろんの事だが、特にその言動や思想に影とは思えぬ程の風格と誇りを感じとり、カタリナは純粋にこの青年に敬意と好意とを抱き始めた。
 最初の手合わせで気付いた怪我も不治の古傷ではなかった様で、あれから数週間たった何度目かの手合わせの時には、遂にカタリナが一本取られる場面もあった。
 そんな時には少しだけ影が若者らしく控え目ながらも喜んで見せたものだから、カタリナは全く悔しがる気が起きずに素直に褒め称えた。
 
「いや、じわじわと悔しくてな。いずれ一本取れる様になりたいとは思っていたのだ」
「ふふ、お見事でした。マイケルのその呻りのある突きは強力ですね。特に今日は、鋭さがピカイチでした。中々拝見しない技ですが、どの様に修得なされたのですか?」
 
 手合わせの後には何時の間に習慣になったか、井戸の淵に二人して腰をかけて話をする様になっていた。
 影はカタリナの質問に対し、以前に強い相手と戦った時に閃いたものだと気さくに話してくれる。
 
「強い相手、ですか。いいですね。私の周辺では、競えるのは正直マイケルくらいしか居ません。もっと強い方々は、まだ騎士候補生であり女である私を、お認めにはならない。まぁ、タイミングがあれば挽回したい位で、今は其れを急ぎ求めている訳でもありませんが」
 
 そんなことより今は己を磨くことが先決なのだ、と笑うカタリナに、影は優しい笑みを浮かべた。
 
「ふむ・・・しかしそうなると、カタリナから一本取ったのは私が初という事か?」
「ん・・・そうですね。連日騎士団仲間や候補生が挑んではきますが、そこでは一度も負けたことはありませんから」
 
 しれっとカタリナが言うと、影は珍しく声をあげて笑った。
 
「はっはっは、騎士団連中も大変だな。しかし物珍しさはあろうが、そうも連日挑んでくるのは良く皆に好かれている証拠か」
「いえ、皆して面白がっているのです。私から一本取ったら晩の酒盛りの時に私にお酌を任せられる、なんてルールを決めた様で。まぁ、それを否定しない私も大概ですけれど」
 
 カタリナが肩を竦めながら言うと、影はふむと答えながら顎に手を当ててからにやりと笑った。
 
「という事は、私はカタリナからお酌をしてもらう権利を得たというワケだな」
 
 普段見ることがないそのいたずらっぽい笑みにカタリナは内心どきりとしながら、それを察せられまいと発展途上の胸を張る。
 
「マイケルが望むのなら。騎士に二言はありませんから」
「そうか。ではそうだな・・・お酌を頼む訳ではないが、今度少し遠乗りに付き合ってもらおう。よいか?」
 
 意外なその申し出にカタリナがキョトンとしながらも頷くと、次に騎士団の練習が午前で終わるタイミングで日取りだけ決め、いつもの様に空の色合いを見て二人は分かれた。

 

 

 

数日後、早めに訓練を終えたカタリナが裏庭に向かうと、其処では普段のローブ姿ではなく大変に高級そうな貴族衣装を身に纏った影の姿があった。
 カタリナがそれを見て驚いていると、対する影はいつもの調子で口を開く。
 
「カタリナも着替えてくると良い。これから南の湖の丘に行こうと思う。裏門の所で落ち合おう」
「え・・・あ、はい。分かりました。少々お待ちになっていてください」
 
 慌ててぺこりと頭を下げながら家へと駆け戻ったカタリナは、自室に戻るや否や鎧を急いで棚に戻し、浴場で素早く汗を流した。
 その急ぎ様に何事かと給仕の者が声をかけてくるが、カタリナは何でもないと言ってまた部屋に駆け戻った。
 
(
・・・あ、何を着ていけば良いのかしら・・・)
 
 普段から騎士装束しか身に纏わない彼女は一瞬そこで思い悩んだが、何故かそこでタイミング良く給仕の一人が部屋に入ってきてドレスを手渡す。

 
「お嬢様、お出かけでございましたら、是非に此方を」
「え、あ、有り難う」
 
 とにかく影を待たせてはいけないと思ってそのドレスを受け取り、手を貸してもらいながら急いで袖を通す。
 淡いピンクの色合いに控え目な模様の刺繍が随所に施された優美なデザインながらも、スリムなロングスカート部分はスリット付きで機能性もあり、帯剣と乗馬も可能にしている。サイズも驚く程にフィットしており、それは正に、カタリナの為に仕立てられた様な品だった。
 
「このドレス、とても着心地がいいわね。有り難う。いってくるわ!」
 
 騎士の嗜みとして忘れずフルーレを腰に装着し、わたわたと出て行くカタリナ。
 それを柔かに見送った給仕は、そこで漸くほっと胸を撫で下ろした。
 
「・・・まさか侯爵家からドレスが届くなんて何事かと思ったけど・・・お嬢様、がんばっ!」
 
 グッと握りこぶしを作りながら密かに声を上げる給仕の声は、ドレス姿で見事に馬に跨るカタリナの背中に向けられていた。

 

 

 

結局三十分程も待たせてしまったが、何時の間にかローブを羽織って身なりを隠した影は表情一つ崩さずにカタリナの姿を見て頷くと、早速二人は拍車をかけて出発した。
 城下町を迂回する様に進路を取って三十分程も進むと、間もなく小高い丘から見下ろせる湖に辿り着く。
 遠く更に南には山頂が雲に覆われたタフターン山が見え、ここからそこまでの間には突き抜けるような青空と、低い位置にある大きな白い雲が幾つも浮いていた。
 
「・・・風が気持ちいいですね」
 
 空に目を細めながらカタリナが呟くと、ローブを脱いだ影はそれを肯定しながら馬を降りた。それに合わせてカタリナも降りると、影はカタリナに振り返って目を細めた。
 
「似合っているな、そのドレス」
 
 唐突なその言葉に、思わずカタリナはほんのり顔を赤くしながら俯いて礼を言う。
 
「マイケルも、その姿は本物のミカエル様かと見紛う位ですね。まるで本当の双子のよう」
「はは、よく言われる。まぁそれでこその影だからな」
 
 それから二人は、丘の上の柔らかい草に腰を下ろして幾つもの他愛の無い話をした。
 影が宮廷内のちょっとした小話を披露すると、カタリナは騎士団の間にあるモニカファンクラブの話などをしてみせる。
 
 表面的には二人とも和やかだったが、しかしその内心でカタリナは普段より幾分か鼓動が跳ね上がっているのを感じていた。
 幼い頃に死蝕を経験してから本格的に騎士を目指しはじめた彼女は、それから只管に剣の修行と、貴族、そして騎士としてあるべき教養の修得にずっと向き合ってきた。
 そんな中でこんな穏やかな時間を過ごすことなど一切考えていなかったし、実際になかったからだ。
 加えて明かせば、彼女は十の歳に騎士団に候補生として仕官したその日に姿を見たミカエルに、仄かな憧れの念を抱いていた。すらりとして洗練された立ち姿勢と美しい金色の髪、そして何より誇り高きその眼差しに、カタリナは強く惹かれたのを今も鮮明に覚えている。
 そんなミカエルと同じ姿で、そして誇りに溢れた瞳を持つこの影を名乗る青年に、カタリナは自覚できる程の胸の高鳴りを感じていたのだ。
 
「・・・そういえばカタリナは、絵を描くのが趣味だといっていたな」
 
 ふと影が以前に聞いた話を思い出して言うと、カタリナはゆっくりと頷いた。
 
「・・・はい。普段はあまりそこに割く時間は有りませんが、たまにこんな美しい風景を見ると、無性に筆を取りたくなります。この時を、この気持ちを、何かに描いておきたくて・・・」
 
 そういいながら空を見上げるカタリナの横顔を見て、影は自然と笑みをこぼした。穏やかな風に揺れる銀髪は彼女にとても似合っていて、普段は見ないドレス姿がまた彼女の持つ生来の美しさを引き立てている。
 
「・・・私も似たように感じる。だが私は絵をかける程器用ではないから、こうしてたまに見にくるのだ。すると、以前とはまた違った美しさも見えてな。この美しい風景とこの国を我が身が背負える事に、私はより一層の誇りを感じるのだ」
 
 風を受けながら立ち上がってそう言う影に、見上げるカタリナは思わず心を奪われた。
 それは正に王者の言葉で、誇り高いその意志と力強い瞳に、カタリナも思わず立ち上がって同じ方向を見つめる。
 
「・・・はい。私も、そう感じます。騎士としてこの国を、民を、そして君主を守れる事に・・・誇りを感じます」
 
 こうしてここに立っているのは、本当にミカエルの影なのだろうか。
 そんなことを、ふとカタリナは考えた。
 同じ顔であるだけでは、このような気高さは得られない。同じ格好であるだけでは、このような誇りは纏えない。
 きっと自分の隣にいるのは、本当の王者であるのだ。いずれはこの国を背負い、未来に自分が仕えるべき人物なのだ。
 そう心で確信したカタリナは、気がつけば影に向き直り、ゆっくりとその場に跪いた。
 
「・・・まだ騎士ですらない私ですが、必ずや・・・貴方とこの国をお護りします。この胸の内にある、武人の誇りにかけて」
 
 その言葉を聞いた影もまたカタリナに向き直り、力強く頷いた。
 
「・・・宜しく頼む」
 
 一瞬太陽を覆い隠した雲から、漏れ出でる光が二人に注ぐ。
 思わず口をついてもっと強く想いの丈を曝け出してしまいそうになるが、カタリナは思い留まった。騎士として仕えられるだけで自分には十分だと、そう感じたからだ。
 それから二人はどちらからともなく微笑み合うと、自由気ままに草を食んでいた馬を呼び寄せ、颯爽と帰路についた。

 

 

 

それから影は、裏庭に姿を見せることが無くなった。

あの遠乗りから一月もした頃にカタリナがいつもの様に裏庭に向かうと、井戸の脇に一通の手紙があった。
 カタリナへ、と書かれた封筒の裏面には、Michaelの文字。
 井戸の淵に腰を掛けて手紙を開くと、そこにはいよいよ影として常にミカエルのそばを離れずにいる様になったという事と、もうここで会うこともないだろうが元気で、とだけ短く文末に添えられていた。
 
「・・・問題ないわ。ここで会えずとも、私の誇りは常に、貴方と共にありますから」
 
 少しだけ強がって、自分に言い聞かせるようにそう口にする。だが、それは間違いなくカタリナの本心だった。
 そしていつもと変わらず、大剣を手に取って素振りを始める。その太刀筋は以前に増して冴え渡り、風を切るその音は、木陰からそっと立ち去る人影にもしっかりと届いていた。

 

 

「・・・うむ」
「うむ、じゃないですよフランツ様。覗き見とは、ご趣味がよろしくない」
 
 丁度裏庭を見下ろせるバルコニーから枠に肘をついて下を見下ろしていたフランツの小さな呟きに、呆れ果てた様子の側近が言った。
 
「・・・お主も同じようなものだろう」
「私はフランツ様の後をついて回るのが仕事なだけですから」
 
 しれっと言う側近に、フランツは大いに顔をしかめた。
 
 
 
 これより一年の後、カタリナは正式に初代ロアーヌ后妃ヒルダ以来で初となる女性でのロアーヌ騎士として称号を得ると共に、ミカエルの妹であるモニカの護衛兼侍女としてフランツより大抜擢され、ロアーヌ侯家に代々伝わる聖剣マスカレイドをその手に預けられた。
 
 余談であるが、後日カタリナが侍女として宮廷に上がった初日、すれ違ったミカエルが彼女に対して口にした「相変わらず似合っているな、そのドレス」という言葉は、一年前以来で二度目のドレス着用であったカタリナにとって大変な驚きと衝撃であったと、後にカタリナ本人から話を聞いたモニカが兄に語ったという。
 兄がその時に見せた何とも言えぬ微笑みの表情は、モニカには忘れられぬものとなった。

 

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