風を呼ぶ家

風を呼ぶ家

 

 

 茹だるような暑さに、堪らず学校指定の夏服用ベストを脱いで鞄に仕舞い込む。

七月にはいると期末テストさえ終われば、学校全体はもうすっかり夏休み気分だ。

ろくにクーラーも効いていない校内からはとっとと退散することにして、相変わらず部活動で賑やかな校舎をあとにした。

この高校は学長の方針で全校生徒が必ず何かしらの部活動に入っていなければならないのだが、運動があまり得意ではなくインドアの趣味もそこまでない私は、郷土文化研究部、という部活に所属している。
 活動内容といえば年に一度の文化祭の時に部室で郷土文化の資料展示をする位で、所謂、避難場所扱い。噂によれば三年連続で同じ資料を展示する猛者もいるとかいうのだから、驚きだ。
 そんな部活だが、年一回の発表の場だけはやらねばならない。つい先日になって顧問からこの課題を改めて伝えられたので、夏休みの宿題は七月中に全て終わらせるタイプの私は九月に控える文化祭展示のための資料を集めに、今日は街を探索することにしていた。
 夏休み中にそんな事をやるなんて、真っ平ゴメンだからだ。
 
 
 校門から伸びる桜並木を終えて十字路に立ち、少し考えてから左に曲がる。
 気持ちは直進で入れる遊歩道から二両編成のローカル線が走る無人駅に向かいたいのだが、それでは家に帰るだけだ。そして十字路を右へ行くとこの町唯一の商店街だが、そこには郷土文化といえるような代物が置いてあった記憶はない。寂れ具合が現在の郷土文化、と捉えるなら話は別であろうが。
 なのでここで何かを探そうと思ったら、選択肢は左しか無かった。
 
 
 灘らかに登っていく道を暫く歩いてみると、古めかしい木造の建築物が並ぶ中に、いくつかの町工場らしきものがあるのが見える。
 更にその先を眺めてみれば一向に畑と林と山肌しか見られなかったので、この辺りの建物を見学してみる事にした。
 
 地域性からか、この辺りの人々はとても人当たりが良く、職場見学には喜んで応じてくれる。
 だが見た限りでは肥料や農薬の工場と、林業を営む材木屋の倉庫、そして水道管の修理工房等等、郷土文化というには些か首を傾げたくなるものばかりが立ち並ぶ。
 勿論何れも暮らしには重要なものなのは分かるのだが、これを持ち帰ったら流石に顧問に怒られそうだ。
 
 そうして更に次の場所を求めて水道管修理工房の主人に礼を言ってから歩き出した矢先、遠くから響く微かな音が風に乗って耳に届いた気がした。
 音に誘われて歩いて行くと、辿り着いたのは小さな倉庫みたいな場所だった。
 開けっ放しの扉から中を覗き込むと、古めかしい窯が先ず目に入る。その他にも見慣れない道具が立ち並んでいるので何かの制作工房の様だが、その詳細はわからない。
 そこに再び、チリンと透明な音が鳴る。その音の出処を目線で辿ると、それは入り口の雨避けトタン屋根の端に吊るされた、瓢箪みたいな形をした風鈴だった。
 
 
「その風鈴、形が珍しいでしょう。名前はそのまんま、瓢箪型風鈴。ウチの作品だよ」
 
 
 しばし観察していたところに今日の日照りみたいにカラッと明るい声を掛けられて振り返ると、勝気そうな表情のお姉さんが立っていた。
 上はTシャツ、下は作業服。そして首からタオルを掛けている。先程までの工場のおじさん等とは違い、主婦や公務員以外でこの町ではなかなか見かけない若い年齢層の女性だった。
 
 
「あなた、峰高の生徒ね。余りの暑さに、ここの風鈴に涼を求めにきたのかしら」
 
 
 自身の高校の略称よりも、風鈴に涼を、の部分に反応して目を見張る。瞬間的には、理解できなかったのだ。
 
 
「・・・年代的にイマイチぴんと来ないか」
 
 
 私の反応を見てそう言うと、お姉さんは自分の背後に親指をむけて指し示した。
 
 
「暑いでしょ。ここで会ったのも何かの縁よね、上がっていきなよ。冷たいお茶位は出せるよ」
 
 
 言うが早いか、こちらの返答を聞かずにお姉さんは歩きだしてしまった。
 あまり慣れていない展開だけど、ここはせっかくなのでついて行くことにした。どううがった見方をしても、今のお姉さんが不審な人には見えないし。
 
 
 招かれた家は、これでもかというほど純和風。ガラガラの玄関を通って木の感触が足の裏から伝わる廊下を案内されて、縁側のある広い部屋に入った。
 部屋の側面いっぱいに広くとられた縁側の半分は簾で太陽の熱線を遮断し、しかし風を呼び込んでいる。そしてその脇には、ここにも風鈴。先程のものよりもやや小振りだが、風に揺られて鳴らす音は等しく透明だ。
 しばし部屋の中を観察していると、先程のお姉さんが氷とお茶に満たされたグラスを二つ持って入ってきた。
 
 
「はは、珍しい?」
 
 
 その言葉に、素直に頷く。自分の家とは構造が全く異なり、まるでドラマのセットを見ているような気分だった。
 屋根裏には、まっくろくろすけが住んでいそう。
 思った通りに伝えると、お姉さんは声をあげて笑った。
 
 
「流石に近所にトトロは住んじゃいないけど、まっくろくろすけはいるかもね」
 
 
 あんまり自然に笑いながらいうものだから、まるで初めて会った気がせずに、気がつけばすっかり寛ぎながら今日の目的を話していた。
 
 
「へぇ、郷土文化研究部、ねぇ。そうはいっても、ここは昔からの伝統産業って言えるほどのものはあんまり無いかもしれないね。だのによくそんな部を作ったもんだ」
 
 
 あっけらかんとそういうので、この風鈴は違うのかと少し残念に思い、そう言った。
 するとお姉さんは風鈴についてそう言われたことが嬉しかったのか、また明るく笑いながら口を開く。
 
 
「ここの風鈴は、私の爺ちゃんがこっちに来て作り始めたんだ。元は東京の技術だね」
 
 
 そうして、お姉さんは風鈴のちょっとした歴史を披露してくれた。
 元をたどれば風鈴とは風鐸(ふうたく)と呼ばれる魔除け道具であった事。ルーツが紀元前の中国である事。世界中に様々な形で広まっている事等等。
 
 
「よく市場にオモチャみたいな価格で流れているものは、その全てが型を使って作られたものだね。色形はまぁまぁだけど、あれじゃあ肝心のものが抜けてるんだ」
 
 
 妙に含む言い方で言葉を終えたので突っ込んで聞いてみると、お姉さんは縁側の風鈴に目線をむけた。
 つられてそちらに顔を向ければ、丁度のタイミングで風に吹かれた風鈴が、また透明な音を奏でる。
 あ、と声にだして反応すると、お姉さんはにこりと笑った。
 
 
「そ、音さ。音一つで涼しさを思わせる本物の響きは、流石に手作りにしか出せない。涼を奏でる。それこそが風鈴の真骨頂ってわけ」
 
 
 その言葉に感心した調子で声を上げると、お姉さんはちょっとだけさみし気に笑いながら、でもね、と言葉を続けた。
 
 
「風鈴の役割は、そろそろ終わりかけてる。今は此処みたいに風を呼び込む夏じゃなく、締め切ってエアコンだからね。ま、麓の簾屋さんも同じ事を言ってたけどね」
 
 
 確かにそうだなぁ、と思いながら自宅を省みる。居間と各自の部屋にはエアコンがあり、今の時期は窓を開けることが殆ど無い。
 
 
「ここは下に比べりゃ高地だからまだ縁側に簾と風鈴だけでも涼を得られるけれど、十年後は分からない。私が子供の頃に比べてでさえ、今は異常に暑いからね」
 
 
 毎年のように異常気象、前年を上回る猛暑と言われ続けて、もはや自分にとっては毎年美味しくなったと言われる不思議飲料ボージョレーと同じ感覚でいたものだけど、いずれは今が温いと思うほどに暑くなるのだろうか。
 
 
「郷土文化というよりは、今までの日本文化そのものが消えようとしているのかもしれないね。でも其れは、仕方のないことかもしれない。風鈴も簾も風を呼び込むこの家も、その時の需要に応じて生まれた文化。そしてエアコンもその他の色んな電化製品も今の住宅構造も、今の需要に応じて生まれた文化さ。流行り廃りは世の常よ。爺ちゃんがきいたら、ばかもーん、って怒るだろうけれど」
 
 
 部屋の奥にある仏壇に、それとなく目が向く。お爺さんは今を嘆いているのだろうか。
 でもこのお姉さんは、今に肯定的だ。柔軟な考えを持っているし、否定をしない。
 なのに、何故ここにいるのだろう。そんな疑問が浮かび、聞いてみた。
 
 
「あはは、答えは単純」
 
 
 そう言って背伸びをし、お姉さんは部屋の空気をいっぱいに吸い込んだ。
 
 
「ここが、好きだから」
 
 
 気がついたらお爺さんの手伝いで風鈴作りをしており、昔ながらの制作方法と、火の調整が大変らしいコークス窯と呼ばれる炉を用いたここの風鈴は、実は地域を超えて評判がいいらしい。
 ちょっと自慢なんだよ、なんていいながら話してくれた。
 
 
「文化を守る、なんて大義名分は別に無いけど、私は運がいいと思っている。なにせ此処に生まれて、ここを好きになれて、好きな事をして暮らしているんだからね」
 
 
 そう言ってお姉さんは自分のグラスに満たされた麦茶をぐっと呷る。
 私も倣って喉に流し込むと、冷たい麦茶がすごく美味しくて、簾から流れ込む風が気持ち良くて、風鈴の音がとても涼しい。
 
 夏なんて外に出ればひたすら暑いだけで好きじゃなかったけど、初めてここで日本の夏、みたいなものを肌身に感じて、なんとなく目の前のお姉さんがここを好きだと言っている感覚が分かる気がした。
 お姉さんも私の表情からそれを読み取ったのか、にこりと笑った。
 
 
「また、おいでよ。ここは夏は風の住処で、秋は紅葉が燃えて、冬は囲炉裏がまたおつなもんなんだ。そして春になれば、新緑に合わせてよく薫る。そんな、日本の家。郷土文化研究部の題材には、悪くないかもよ?」
 
 
 その言葉に私が大きく頷くと、またお姉さんは明るく笑ってくれた。
 
 
 
 
 
 
 お土産になんと風鈴をひとつ頂いてしまい、別れを惜しみつつも家路に着く。
 耐えきれなくて道すがらに風鈴の舌を戒めから解き放つと、チリンと鳴ったその音に、心にふわりと風が吹いた気がして涼しくなる。
 そんな感覚は知らないはずなのに何故か懐かしい気持ちになって、それがなんでか嬉しくて、自然と足が軽くなった。
 夕暮れでまだまだ蒸し暑い帰り道に、私は涼やかな表情で一人鼻歌交じりに駅へと向かっていく。

九月の文化祭までに彼処に通いつめて、あの場所を皆が知ってくれる様にしようと密かに心に決めながら。

 

 

今年の夏休みは、例年より少し涼しく過ごせそうだ。

 


 

2011/7/16

物書きの集い・お題企画 「風鈴」 より

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