空の鏡

空の鏡

 

 

 

 

思いっきり泣き腫らすような勢いで明け方から雨を降らせ続けていた空模様も午後には機嫌をなおし始めたようで、放課後にふと気がつけば、いつの間にやら微風に揺らめく小雨となっていた。
 昇降口を出る時にさしていた傘から腕を伸ばすと、手のひらにあたる雨はもうあまり感じられない。
 上を向けば薄雲から零れ出る陽光に間もなく雨が止む事を確信しながら、校門を後にした。
 校門を出てすぐに続く今は盛りをすぎた桜並木道を下って行くと、十字路に突き当たる。
 本当ならば此処を真っ直ぐ入れば駅へと続く遊歩道なのだが、自宅の最寄り駅には何も無いのでろくに買い物もままならない。
 親に頼まれていた買い物もあったので、十字路を右に曲がってこの町唯一の商店街へと足を向ける。
 
 


 辿り着いたのは、お世辞にも栄えてるなんていえない小さな商店街。
 ここにあるのは、大手企業なんて欠片も見えない個人商店の束と、アナログのピンボールがメインの遊戯場くらい。
 其れだけでも若者が寄り付かなそうなものなのに、極めつけは鈍行二両編成で都市部まで一時間以上かかるという、この立地。
 本来なら生徒のたまり場になるはずの商店街も、山間の田舎のテンプレートの様なこの町では事情が違うようだ。
 長居は無用。
 近所の主婦達に紛れて早々に買い物を済ませ、気分転換に普段とは違う道を通って帰る事にした。
 ついでに雨もすっかり止んだようなので、愛用の折り畳み傘をカバーに入れて鞄に仕舞い込んだ。

 

 

 

 

 

道なりに緩い上り坂を進んで行くと、開けた丘に面して少し大きめの公園がある。
 此方に足を伸ばすことはほとんどないので折角だと少し立ち寄ってみるが、先ほどまで降っていた雨のせいか、人は殆ど居なかった。

 

 


 御馴染みの遊具が集まる入り口付近から左にはキャッチボールが出来そうな位の広く設けられたスペースがあり、そこには今は幾つもの水溜りが張っている。
 その中の一際大きな水溜りの中に、長靴姿の小さな男の子が今にも泣きそうな顔で立ち尽くしていた。
 
 
「君、一人? お母さんは?」
 
 
 気になって、近付いて声をかける。すると振り向いた男の子は、ひどく不安そうな表情で私の質問に答えた。
 
 
「わかんない・・・」
 
「そっか・・・」
 
 
 ありそうで中々無い迷子と出逢うこの状況に、私も困った表情を見せた。
 さすがに放っておくわけにもいかないけど、ここで待っていて親御さんがくるものなのかな。
 すると私の表情を敏感に読み取ったのか、男の子がまた泣きそうな顔になる。私は慌てて表情を取り繕うと、いよいよ雲の切れ目から地面を覗き込み始めた陽の光にひとつ妙案を思い出して、男の子に笑ってみせた。
 
 
「・・・空も泣き止んだし、君も泣いちゃダメだよ。そうだ、お母さんがお迎えにくるまで、空がお化粧するのを見てようか」
 
 
 私がそう提案すると、男の子はうっすら涙を浮かべた顔で可愛く首を傾げた。
 
 
 

 


 
 
 
 今の様な年齢になれば頑張って都市部にいくけれど、小さい頃は私にとっても近所の公園こそが最大の遊び場だった。
 それこそ水溜り一つで大はしゃぎしていたような小さい頃の私を、子守役のお父さんは休日の度に家の外に連れ出しては遊んでくれたものだった。
 
 小さい頃、長靴を履いて水溜りに飛び込んだ経験って、結構誰にでもあると思う。
 
 その水溜りに飛び込むとぱっと波紋が広がって、小さな水しぶきと共に水溜りに映り込んだ青い空が揺れる。
 私はそれを見るのが何故か無性に楽しくて、いくつも水溜りに飛び込んでは、その光景を見ていた。
 
 そうしたら、すっかり足元が水浸しの私を見かねた子守役のお父さんがこう言った。
 
 
「水溜りはお空が自分用に作った鏡だから、間に入って邪魔をしてはいけないよ」
 
 
 その言葉に、私は首を傾げて聞き返した。
 
 
「お空も、お母さんみたいに鏡を見てお化粧するの?」
 
 
 それを聞いたお父さんは少しキョトンとした顔をして、次ににっこりと笑った。
 
 
「あぁ、その通りだよ。お空もお化粧をするんだ。だから、あんまり邪魔をしてはいけないよ」
 
「わぁ、お空のお化粧、見てみたいなぁ」
 
 
 私がそう言うと、目を細めて笑ったお父さんは私を抱き上げてくれた。
 
 
「よし、じゃあよーくその水溜りを見ててごらん。キラキラって光ったら、お化粧が終わった合図だよ」
 
「いつ終わるの?」
 
 
 待ちきれない、という風に私が聞くと、お父さんはニヤッと笑ってみせた。
 
 
「心配しなくても、お母さんほど時間はかからない」
 
 
 それなら安心だ。
 私がお父さんの顔から水溜りに目を移すと、待ってましたとばかりにキラキラと、色とりどりに水溜りが光った。
 お父さんは、得意そうに言った。
 
 
「そらきた、上を向いてごらん」
 


 私はその言葉に、ゆっくりと空を見上げた。

 

 


 
 
 
 
「ほらきた、上を向いてごらん」
 
 
 水溜りから少し離れて二人してじーっと見ていたところにキラキラと光る合図を見つけて、私が男の子に言う。
 男の子は言われるままにゆっくりと空を見上げると、それは見事な化粧を施した透き通るような青空が、その円らな瞳に飛び込んできた。
 
 
「うわぁ、虹だ!」
 
 
 ぱっと明るい表情になって、男の子がはしゃぐ。
 
 
「ね、お空のお化粧、綺麗でしょ?」
 
「うん!凄くキレイ!」
 
 
 大はしゃぎする男の子に目を細めながら、私はにっこりと笑った。
 昔は逆の立場で私がこうしてたいそうはしゃいだものだから、お父さんはそれから雨上がりの休日の度に私にせがまれては外に繰り出したものだっけ。

 

 

ひとしきりそうして見上げて空を見上げたり水溜りを眺めていると、公園の入り口から男の子の名前らしきものを声に出しながら誰かが駆け寄ってきた。
 
 
「お母さん!」
 
 
 男の子は駆け寄ってきたお母さんを見つけると、迷子だったことなんかすっかり忘れて勢いよくお母さんの服を片手で掴み、もう片方の手で空を指差した。
 
 
「ほら、お空のお化粧!」
 
 
 その表現にお母さんは首を傾げたけど、男の子が指差した虹を見て、お母さんもあのときのお父さんのように微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さんと男の子と別れてから、今度は緩い下りになった帰り道をゆっくりと進みながら、道に点在する水溜りに目を向ける。
 そのどれもが青空を移してキラキラと光り輝いていて、見上げればそこには相変わらず綺麗な虹。
 
 
 私はそれを見て思わず頬を緩ませながら、駅へと歩いていった。次の雨上がりの休日には、久しぶりにお父さんにせがんでみようかな、なんて考えながら。

 

 

 

 

2011/6/19

物書きの集い・お題企画 「水溜り」 より

 戻る